予想外の副作用

先日のNHKニュースで新型のLED信号についての情報があった。従来の信号が熱を放ったが、LEDは省エネで、熱を余り出さないそうだ。その結果、最近の大雪で信号に積雪があるが、溶けないそうだ。従来の信号だったら、電球の熱で溶けたが、LEDは光しか放たないので雪がそのまま残るそうだ。その結果、信号が見づらくなるので、警察が回って対策をとらなければならないという。

このような現象は珍しくない。この世の一部でも、人間が把握できないほど複雑だ。見逃した現象が起きると、予想できなかった結果が発生する。信号の雪問題は些細な例で、福島第一原子力発電所の事故は甚大な例である。毎回、経験を活かして次回の対策を構えるべきだが、それに加えて計画の方式も考えるべきだ。何かがあって、計画を変える必要が発生することに覚悟して、いつも臨機応変が効く計画を企てるべきだと思う。途中の修正が可能な状態を維持するのは基本方針の一つだと認めざるを得ない。

節分

昨日は節分で、家族でささやかに祝った。真由喜が幼稚園で可愛い鬼の面を作ったし、ゆり子が太巻き寿司の材料と豆を買っておいたので、準備万端だった。私が教えていた間にゆり子と真由喜がすし飯やみそ汁を用意したので、レッスンが終わったらすぐに三人で巻き寿司を巻き始めた。やはり寿司屋さんのプロのように上手にできなかったが、真由喜が楽しく手伝ったし、味も良かったので、成功だった。切って食べる前に恵方に向かってガブッと食べたが、それも楽しかった。

それから、豆まきだった。真由喜が祭主になったので、和室に移動して、私が面を冠った。真由喜が豆をたくさんもって、「おにはそと!ふくはうち!」と叫びながら、私の方へ投げた。豆が終わったら、一緒に拾った。そして、もう一度豆まきしたが、この二回目で真由喜が豆を食べながら撒いた。

和室で豆まきするのは、真由喜が当たり前のように決めたが、それは去年和室で行ったからだろう。真由喜が今去年の祭日などをよく覚えるようだが、数年後この時期を覚えない筈だね。人間の記憶力は不思議な力だよね。

参拝マナー

1月23日付の『神社新報』の論説が初詣の服装の問題を指摘した。お正月はハレの日だから、晴れ着を着るべきだと述べたが、興味深いコメントもあった。普段は、若者の無礼を嘆くが、最近若者がインタネットなどで適切な礼儀を調べて、或る程度礼儀作法を正しくする傾向は見えるという。その代わりに、中高年がスポーツウェアなどで参拝して、単なる観光かのように振る舞うと嘆いた。無礼の問題は若者ではないと指摘する記事は珍しいので、面白かった。それに、いいことだと思う。典型的な話と異なれば、現実を把握した証拠になる。

しかし、失礼な中高年に対する態度も考えさせられた。問題の原因を二つに大別できると思う。

一つは、知識不足だ。つまり、神社の参拝で何を着るべきか、どういう作法をするかは、分からない。この場合、社頭の看板や手水舎に掛かる案内板に説明したらいいだろう。服装について、その場で着替えて改めることはできないので、帽子を外して、リュックなどを手に持ってくださいということはいいし、一番好ましい服装を紹介するポスターなどもあったらいい。しかし、声をかけて、服装を批判するべきではないと思う。恥をかけずに改める機会を与えたほうが親切で効果的なのではないか。

もう一つの原因は、神社をそもそも尊敬しないことだ。情報があっても、従う動機はないので、案内板などで動作を是正させることはできない。このような人をどうすればいいだろう。

もちろん、境内から追い払うべきではないと思う。むしろ、親切に受け止めて、質問に応じて、ある意味歓迎するべきだ。そうすれば、「神道」という宗教を尊敬しなくても、目の前の人間に配慮する人は殆どだから、神社の関係者の気持ちを考えるようになるだろう。他の人の参拝を妨げる行為をしたら、注意すべきであるのはいうまでもないが、ただ参拝の作法に従わずに不適切な服装で境内をうろうろして写真を撮る行為だけであれば、寛容したほうがいいのだろう。神社で冷たい態度と会ったら、神社に対して友好な気持ちが湧くはずはない。神社には罰する権力や拘束力はないので、誘導するしかない。

それは、観光客の気持ちで境内を踏む人に限らない。初穂料を封筒に入れて捧げるべきことも、封筒も用意してその場で教えることができる。そして、初詣や祭で、適切と認める服装をする人には、優遇を与えることもできる。例えば、別な列で、より早く参拝できるようにするとか、昇殿参拝を許すとか、そして奉納芸を見る為のいい場所を用意するなど。このような制度を広告すれば、服装を正す人もいると思える。

絶対にしてはならないことは、「常識」を唱えて訴えることだ。神社での作法はもう日本人の間でも常識ではないことは周知の通りだ。この現実を変えようとしたらいいが、今のところ神社を尊敬するべきも、作法も、共有常識ではない。

日枝神社

コンクリートの鳥居去年の10月10日に東京十社巡りの神社の巡拝した。翌日に全体像について投稿したが、神社を一つずつ紹介したいと思う。出発点を日枝神社{ひえじんじゃ}にした。先ず、家から交通は便利だし、そして大きな神社だから、すぐに東京十社巡りの専用の御朱印帳を授与できると思った。その通りだった。日枝神社の御朱印がもう載っている御朱印帳をすぐにもらえた。この御朱印帳には東京十社の由緒などが書いてあるので、その神社にそのページが特定されるから、十社巡りにいいと思う。御朱印と言えば、日枝神社の御朱印には、赤い印に加えて、緑色の双葉葵の印もある。赤以外の色が使われるのは珍しいと思う。

ところで、日本論理検定協会の事務所に一番近い神社で、仕事の鎮守の神になった。

さて、日枝神社は東京で有名な神社だ。比叡山に鎮座する滋賀県の日吉大社{ひよしたいしゃ}の分霊だが、徳川将軍が江戸幕府を開いたら、江戸城の鬼門の神社になった。それで将軍家と江戸城の関係は深かったので、明治天皇が江戸に遷都することにしたら、皇室との関係が急にできた。だから、元准勅祭神社になって、東京十社巡りに入った。山王社だから、特徴の山王鳥居があるし、狛犬や随神の代わりにお猿がある。お猿は、御祭神の使いと言われるので、縁がある。日枝神社の御祭神といえば、大山咋神{おおやまくいのかみ}だが、京都周辺の山の神様だ。だからだろうが、日枝神社は丘の上に鎮守する。

それでも、永田町の真ん中に鎮座して、高層ビルに囲まれる。境内から上を見たら、建物が見えない方向は極めて少ない。そして、木々が境内に聳えるものの、コンクリートのエスカレータ付きの階段や鉄筋コンクリートの建物が印象の大半を占める。一方、境内は奇麗だし、植物もわりと元気に見える。神職と巫女は多くて、授与所に近づいたら、誰かがいるに違いない。神職が駐在すると思えるが、それより受付のような人が常時待っている。そして、正式参拝にお参りしたら、結婚式にも使われる施設に入って、心地よく待つこともできる。神社の情報誌が出版されるし、崇敬会には日本の有力層に入る人は多いようだ。(国会議事堂や議員会館の鎮守でもあるようだ。)

去年の正式参拝についての投稿にも書いたが、印象や雰囲気は、繁栄している会社の本社のようだ。東京の日常的な世界を出て、神聖な区域に入った印象はない。

これで日枝神社を批判するつもりはない。何回も言ったが、神社の印象の根拠は不明だから、どうしたらいいか言えない。そして、雰囲気を損なうと思える要素の大半は余儀なくされただろう。周りに聳える高層ビルは、永田町に鎮座することで避けられなかった。そして、社殿などは鉄筋コンクリートで作られたのは、木材の歴史のある社殿は戦災で焼失したからだそうだ。拝殿の天井に絵を描いてもらって、何かの歴史のある建物にしようとするようだし。その上、繁栄することはいいことだ。経済的に苦しむ神社は充分あるが、苦しむことはよくない。だから、「どうやって改善したらいいか」と訊かれたら、答えられない。客観的に見たら、良くしているというしかないが、何か欠けている印象を払拭できない。神社との関係を築いたら、この印象が変わるだろうが、関係を作るのは難しい印象だ。これは問題なのだろうか。

それに、社殿からちょっとだけ離れた稲荷社が鎮座するが、この社殿が唯一江戸時代から残る建物だそうだ。この境内社に繋がる参道には朱塗り鳥居は多いが、ここで神社的な雰囲気を感じる。