歴史の事実と国の始まり

建国記念の日は先月にあった。『神社新報』で、神武天皇を歴史的な人物として扱う記事は多かった。それに、今上天皇を125代と言うことは普通だ。

しかし、神武天皇が実在したと思う学者は殆どいないようだ。外国には皆無と言っていいだろう。紀元前660年には、大和盆地には「天皇」のような存在を支持する社会構成があった証拠は一切ないようだし、「天皇」という呼称は六世紀以前使われなかった証拠は多い。(たとえば、古墳から出土された文字入れ剣には、「大王」という呼称が使われる。)それでも、3世紀以前、大王がある社会の存在を示唆する証拠が欠けているそうだ。『古事記』や『日本書紀』は、8世紀初頭に編纂されたので、1300年以上前のことについての信憑性がかなり欠けていると言わざるを得ない。外国で作成された日本史の本も、日本で作成された日本史の本も、神社本庁が神職の要請の為に作成した歴史書も読んだことがあるが、神武天皇は神話の登場人物に過ぎないのは通説だ。

イギリスで、アーサー王は同じような存在だろう。実在した可能性があるが、証拠は全くない。実在したとしても、ローマ帝国を征服した話は事実ではないことは、誰も認める。だから、最近のアーサー王の伝説を書き直す人がその部分を省く。中世の伝説を読んだら、かなり重要なところであるのに。しかし、アーサー王が実在したとしても、ローマの史料からよく分かることは、ローマ帝国を征服しなかったし、征服したローマ帝王は実在しなかったことだ。

それでも、アーサー王を理想として掲げるイギリス人もいた。(最近余りいないと思うけれども、それは王権を受け入れるムードは殆どないからだろう。)やはり、実在しなかった人物を理想として掲げても差し支えない。理想は、事実がなるべき状態で、歴史上もうそういう風になったかどうかは関係ない。神武天皇の朝廷を理想として掲げてもいい。

しかし、新しい証拠はない限り、例えば橿原神宮で徹底された考古学の発掘調査で紀元前7世紀の宮殿の跡だ見つかったら話が変わるが、アーサー王と同じように、神武天皇の歴史的な存在を信じられない。


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