神田明神

青銅の鳥居神田明神{かんだみょうじん}は東京の有名な神社だ。境内の印象といえば、やはり活気だ。日枝神社{ひえじんじゃ}が永田町や皇居の鎮守であれば、神田明神は庶民の鎮守であると言えよう。創建は730年であるそうだから、歴史のある神社だが、もちろん遷座されたこともある。それでも、現在の都心の境内はまだかなり広い。青銅の鳥居をくぐったら、お店がある参道を進んで、随神門に辿る。門から本当の境内に入ったら、社殿は目の前なのだが、右にも左にも他の賑わう建物があるし、大きな彫刻もある。

神田明神の特徴はもちろん幾つかある。

一つは、前に触れた彫刻だ。恵比寿{えびす}さまと大黒{だいこく}さまの彫刻だが、御祭神の二柱だ。神社の境内に御祭神の彫刻があることは珍しい。お寺では当たり前だが、神道では目に見える像は少ない。神田明神の彫刻は新しい像だから、多分最近の風潮になっているだろう。少なくとも、明治時代以降このような傾向がちょっと強まったような気がするが、確かな証拠はない。感覚だけだ。

もう一つの特徴は社殿だ。社殿は、鉄筋コンクリートだが、昭和9年に、即ち1934年に、建てられたので、神社として一番古い鉄筋コンクリートの社殿だそうだ。それに、大東亜戦争の東京大空襲も耐えたので、国の登録文化財に指定されたそうだ。実は、この神社にも國學院大學{こくがくいんだいがく}のオープンカレッジで正式参拝したことがあるが、社殿の中の雰囲気は悪くない。建築は上手くできたと思うので、保存に賛成する。

最後に、御祭神だ。大己貴{おおなむち}命と少彦名{すくなひこな}命は出雲系の神様で、密接な関係を持っている。大己貴命は、大国主{おおくにぬし}命の別名だから、大黒さまと一致するのは普通だ。しかし、少彦名命を恵比寿さまと一致するのはあり得るが、諸説あることだ。少彦名命は、明治7年に合祀されたそうだから、この神社での歴史は長くない。最後の御祭神は、平将門{たいらのまさかど}だ。平将門は、ご存知の通り、10世紀に謀反して「新皇」と名乗った実在した人物だ。明治時代の遷都の結果、皇室に逆らった神が都の守護神になったわけだったので、明治7年に摂社に左遷されたそうだ。しかし、昭和59年にはまた本殿に復座されたので、現在また東京の総鎮守になっている。110年が経っても、神職や氏子が神様を元の座に復帰したかったそうだから、信仰の根差しを窺える。

神田明神も、何回もお参りしたことがある神社だったので、東京十社巡り当日に短い参拝した。それでも、これも好きな神社だ。


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