一周年

東日本大震災から1年。

もう危機ではないが、復旧・復興はまだまだ初期だそうだ。だから、これからこそ被災地への支援も応援も必要だと思う。

最初の支援は大変だが、計画として簡単だ。人の衣食住を安全な場所で確保して、人を危険な区域から移動させて、そして瓦礫を処分する。瓦礫の最終的な処分が問題になったが、珍しく石原都知事と同意だ。東京都や神奈川県などのところは、瓦礫を受け入れるべきだ。その決意がもう遅れたので、なるべく早く実現してほしい。宮城県や岩手県からの瓦礫には、放射線の恐れはないので、普通の廃棄物として扱ってもいい。もちろん、危険な化学物質も入っている瓦礫もあるが、そのようなものを処分する施設が常にあるので、使ってもいい。だから、この問題はただ決意の問題だ。

他方、これからの復興計画は明らかではない。津波に壊滅的な被害を受けた村をどうするべきかというと、簡単な答えはない。より安全な地位へ移動させた方がいいか、前と同じ場所で復興したほうがいいか、すぐに決められることではない。住民の意見は基本だが、住民が適切に決められるために専門家の分析や助言は必要なのではないか。安全な場所を選ぶ時に、津波だけではなく、土砂崩れなどの起こる可能性がある災害にも配慮しなければならないので、「岡に移動したらいい」と単純に言えない。その上、日常生活への影響も考えなければならない。

日常生活といえば、深刻になりつつあるそうな雇用問題がある。職業はない人には、立ち直り難い。しかし、行政が閣議決定などで雇用問題を解決することはできない。被災地の活性化は必要だが、その牽引力は現地の人にならないと、持続できない。だから、現地の人を支える必要がある。行政なら、資金の調達に努めるべきだろう。計画とやる気がある人に、必要な資金を提供すれば、活性化を促すと思う。これほど被害を受けた地域だから、計画が失敗に終わる可能性に覚悟して支援するべきだから、民間の銀行ができないかもしれない。だから行政の役割だ。個人としてできることは、まだ被災地へ旅して、お金を使うことがあると思う。それに、復興が進めば、被災地で企業などが立ち上がるので、その企業と取引したらいいとも思う。被災者をどうしたらいいというべきではないと確信する。現場の人の状況理解が私のよそからの理解を大きく上回るからだ。もちろん、興味のない商品などを買わなくてもいいが、「このこと、本当に復興に貢献するか」とも考えなくてもいい。現地にある人が試みることを支援したらいい。

個人として、微力であることを痛感するが、それでもできることがやりたい。東日本大震災との取り組みの本番は、これからだ。


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