伊勢の神宮の式年遷宮の費用

ちょっと前の『神社新報』の社説で、伊勢の神宮の式年遷宮の費用を公費で賄うべきであると述べられた。私はそう思わないので、理由を説明したいのだ。

まずは、歴史的に見たら式年遷宮の費用を国民の寄進で賄う例は少なくない。律令制の時代には確かに国費だったが、例えば戦国時代に中段されてから式年遷宮が再会された際、その費用のほとんどは民間から集められたようだ。それに、江戸時代の御師が神宮の維持のために寄付金を集めたようだ。公費は一切ないという状態は異例だろうが、いまでも天皇陛下からの材料をいただくそうだ。ある意味、それで伝統が継承された。つまり、歴史や伝統から説得力のある論証は立たない。

そして、公費に賄えば、政府が管轄するようになる。それは避けられない状態だ。民主主義の国で、避けるべきでもない。しかし、政府が管轄すれば、それは民主党の議員が式年遷宮の規模などを決めることを指す。つまり、式年遷宮が事業仕分の対象となって、議員らが「だれも知らない100以上の神社の遷宮をする必要はないだろう。正宮に限ってもいいだろう。それに、御装束新報は、誰も見えないし、過去の式年遷宮から残っているので、省略してもいい」と決める可能性はかなり高い。様々な分野で、専門家にありえない結論が出た場合は多いので、式年遷宮が例外になる理由はない。それに、もう国家の儀式になったら、神道の人には変える権利はない。受け止めるしかない。

前例もある。明治維新で、政府が神宮の長い歴史を無視して、祭祀の形式を大きく変えた。お供えは、江戸時代以前正宮の床の下に奉ったそうだが、明治政府がそれを勝手に変えた。現在の政権が勝手に式年遷宮を略式にするか農政は充分あると認めざるを得ない。

宗教の自由を訴えようとしたら、できない。それは、公共事業ではない場合にしか効かない。国のお金に依存すれば、国の管轄のしたにも入る。

だから、私の意見は、祭祀や式年遷宮の古式を維持するために、国費を拒否した方がいいということだ。つまり、現状のままでいい。