声を掛ける

3月19日付の『神社新報』に神社で神職などが参拝者を声を翔ることを勧める記事が掲載された。執筆者は、アメリカ合衆国のハワイ島に鎮座するヒロ大神宮の宮司なので、新党の伝統が根付いていない環境の経験に基づいた推進だといえよう。それに、神社の現況が描写されたが、今栄えているとも言える。明治神宮ほどではないが、祭祀を行うために支えがあるというより、余裕があるようだ。だから、宮司の助言を真剣に考えたほうがいいと思う。

実は、私はそもそも同意だ。声を掛けたら、人間関係を作る。もちろん、声を書けるだけで浅い関係だが、深い関係にも浅い始まりがある。そして、参拝者には参拝してもいい自信を与えるし、神社の印象にも活気があると思える。そういっても、疑問が残る。

まずは、現実の問題だ。参拝者に自然に声を掛けるために、神職などが常時に社頭にいなければならない。防犯の装置を使って、人が境内に入ったら社務所から出ることもできるが、ちょっと不自然な気持ちが残ると思う。しかし、これこそは無理である神社は多い。普通の神社には、神職が一人いるので、毎日の祭祀や祈願祭などはもちろん、事務も必要だ。掃除もしなければならないが、掃除の多くは境内や社殿で行うので、声を掛けることはできる。でも、いない場合は多い。さらに、兼務社を考えたら、普段なら誰もいない。山の奥に鎮座する神社の場合、参拝者もいないケースは多いが、都心の兼務社もある。人手不足が深刻な現実問題になる。一方、明治神宮のような神社で、参拝者が後を絶たないので一人ひとりに声を掛けようとしたら、他の仕事はできなくなる。役割分担は必要なので、この場合でも現実の問題がある。

一方、声を掛けたら何を言ったらいいかも課題になりそうだ。もちろん、挨拶ぐらいならいい。それは最低限だろう。神社の特別の挨拶をするか、例えば「ようこそお参りくださいました」、それとも一般的の「こんにちは」のほうがいいか、話し合ったらいいと思う。でも、挨拶で止まったら、参拝者には話があっても聞かない。一方、参拝者には時間はあまりない場合、無理に話そうとすれば迷惑になる。商売ではないので、挨拶には「お話があれば遠慮なく声を掛けてください」のような表現を入れたらいいかもしれない。しかし、経験を踏まえて決めるべきだから、最初に何となくするしかない。

問題を認めても、この方針を実現できたら大変好ましいと思わざるを得ない。絆を結ぶ第一歩であるからだ。


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