英語のレッスンの生徒さんは、科学的な研究を行って、レッスンで論文や発表の英語の原稿のチェックを依頼するっことは多い。その添削で科学の内容も理解する必要がある。内容が理解しなければ、翻訳はできないからだ。
今回の内容の結果は、私も生徒さんも分かり辛いと思った。何回も取り組んだが、結果の解釈がうまく行かなかった。結局、同じテーマを扱う文献を探して、使った理論を厳しく批判する論文を二つ見つけた。この論文によると、理論の概念には問題は無さそうだが、数学的な計算法には大きな問題があるそうだ。解釈が問題担った結果は、この理論を使って計算されたので、その結果を無視することになった。この理論を使うために実験を行ったので、問題になったが、科学はそういうものだ。実験が完全に無意味になったわけではないが、欲しかった証拠は入手できなかったことになった。
しかし、問題を明かにした論文は、1997年や1998年に刊行された。それなのに、この理論を使い続けてきた科学者は少なくないそうだ。これは科学の問題だ。結果が刊行されても、大会で発表されても、気づかない科学者はまだいる。したがって、根拠のない実験が相次ぐ。Natureでもこの問題に触れることも度々あるが、解決はないようだ。現在の検索装置で関わるん文献が見つけやすくなったが、探す必要さえ分からなかったら、意味はない。今回、結果の解釈は困難だったので、問題の原因を真剣に探したが、得に問題に気づけなければ、それほど努力しないはずだ。
もちろん、実践された科学の成果を信頼してもいい。ただし、まだ机上の理論に止まる結果を注意しながら聞くべきだろう。と言っても、結果の問題を把握するために、引き続き科学的な顕教を行う方法しかない。続けば、いつか問題が明らかになるからだ。長期的に考えれば、科学が科学の失敗を正す。