4月2日付けの『神社新報』に振興活動についての記事が掲載される。神社本庁が長い歳月に亙って「モデル神社」を指定して、振興教化活動を促してきたそうだが、先月会議を開いて、今までの成果やこれからの方針をまとめたそうだ。この中に興味のある点もあった。この投稿で一つ取り上げたい。
社会学の教授が講義するように招待されたそうだが、この講義で弱い関係の重要性を強調したそうだ。一方、神社側が強い案系の建築を重視してきたとも書いてある。確かに関係なら、強ければ強いほどいいと思うのは当然だろうが、必ずしもそうであるとは限らないと私も思う。神社の場合を考えよう。
強い関係と言えば、氏子の総代や役員だと言えよう。熱心な他の氏子もいるだろう。この強い関係を持つ人は必要不可欠だ。総代などはなかったら、神社の運営はできないし、この人が神社の経済的な基盤を築く。この様な関係を軽視するわけにはいかない。しかし、総代や役員しか支持する神社は、共同体での関係を果たしていない。広く支持されなかったら、共同体の絆に貢献できないからだ。
だが、関係を広めることを考えたら、強い関係になれないことは明らかだ。強い関係、強い絆を作るには、時間も気力も必要だ。長い間ある関係に時間を割かなければ、必ず薄まる。神社の場合、宮司や他の神職が強い関係を養うために、時間は必要だ。だから、強い関係の数には、神職一人当たりには制限がある。だから、活動している神社には、弱い関係、すなわち薄い関係は重要だ。
薄い関係を持つ人を具体的に描いたら、次の通りだろう。神社の年中行事に参加する場合は少なくないが、毎回出頭するはずはない。お正月に神社に初詣する可能性は高いが、旅行などの理由で遅れる年もある。人生の祭祀は、原則としてこの神社で執り行ってもらう。神社にお参りするとき、神職の顔が分かるので、挨拶するが、挨拶ぐらいだ。
このような関係を維持するために、神職の負担は軽い。だが、祭りの活気とつながり、神社の経済的な運営ともつながり、そしてこの様な人も、神社で近所の人と出会って、地域の絆を深める。このような人は多ければ、神社には危機がある場合助けにくると思ってもいい。神社がなくなることを遺憾に思って、祭祀も失いたくない立場だからだ。
過疎地の神社であれば、地域住民を皆よく知っているかもしれないが、それ以外総代などは十数人で、回りに住んでいる千人の人は、薄い関係でもいい。だから、神社の教化活動で、薄い関係の網を広めることに最初に努めたほうがいいのではないか。