自由を守る法律と文化

住民の自由と安全を守ることは、国家の第一の宿命だと思う。これはもちろん外敵からの防衛も含むが、それより重要な問題は国内の自由と安全だ。なぜなら、国内の自由と安全は大きく崩れたら、侵害されても大きな損はないからだ。占領軍の支配で自由を失うとよく言われるが、侵略される前に住民には自由はなかったら、何も失われていない。私は、数億円を持っていないのに、失ったこともない。同じだ。

国内の自由と安全を守るために、適切な法律は重要だ。しかし、主役ではないとも思わざるを得ない。なぜなら、国内の自由を一番脅かすのは、国家その物だからだ。法律には、自由を縛ろうとする国家から守る力はない。国家が法律を改悪したり、無視したりすることができるからだ。この状況を法律の言葉で変えられない。法律で「この法律は永遠まで不変で有効だ」と書いても、将来の国家が廃止できる。憲法さえ魔法ではない。それに加えて、民間人が不法でも他の人の自由を侵したら、裁判で罰しても自由の侵害があった。自由はお金のものではないので、賠償を命じても、本当の代償になれない。

だから、より重要なのは、自由と安全を重視する文化だ。法律はこの文化の重要な一部だ。法律で自由や安全が保証されたら、人は自然する保障されるべきと思ってくる。それに加えて文化でも自由と安全を重視したら、多くの人が侵害しようとしないし、選挙で当選した議員が法律を変えようとしないし、ある団体が自由を縛ろうとしたら、大多数が反対する。民主主義の国体があれば、国民の文化が自由などを宝として思うことは一番の保障だ。

この様な文化を育むのは、政治家はもちろん、評論家などの義務であると思う。


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