新聞を読めば

毎週Guardian Weeklyというイギリスで発行される新聞を読む。対象層はそもそもイギリス出身で他国に住んでいる人だったが、どんどん広げてきた。私は、もう30年以上読んできたので、対象者になる前から経験は長い。南アフリカのNelson Mandelaがこの新聞は刑務所にいたときの世界への窓だったと言ったそうだが、私にもその通りだ。

しかし、窓越しで見える世界は、憂い世界ばかりだ。先週の新聞で北朝鮮の状況を描写する記事もあったし、環境問題に触れる記事も、ヨーロッパに経済危機に触れる記事も、世界中の問題が浮き彫りになる記事は多い。解決に向けた活動についての記事もあるが、それより問題は圧倒的に多い印象は避けられない。

読めば、何かするべきと感じざるを得ない。

でも、何もできない。一般人の一人で影響力も権力もないし、米大統領のように権力を持っても、世界の問題を解決できない。いや、仮に世界の絶対的な独裁者になっても、問題の解決はまだ無理だ。命令で解決できる問題ではないからだ。説得する方法しかないが、説得するには時間がかかるので、一人の人間には無理だ。私のようなものなら、一つの問題を焦点としても、解決に至る人数を説得することができない。(このブログの読者が十万倍になったら話が違うが、それは十万倍だから、今の状況はそれから程遠いのは明らかだ。)でも、何もしないことも許されない。

だから、真由喜の人生もゆり子の人生をよくするように尽力する。生徒さんにも、人生の中で可能性を開くように努める。日本論理検定協会も同じように、不特定大多数な人に自分の人生も、回りの人の人生も向上させるための技能を与えたい。作者の活動でも、数少ないの読者に楽しい時を。これは微小なことだが、私なりに世界の改善の方にほこりの一粒に過ぎなくても、重みを置きたい。回りの人に影響を与えて、その影響がさらに回りの人に通すように、と。代表者会議に参加することも同じだ。

それでも、新聞を読めば、なかなか足りないと痛感する。


投稿日

カテゴリー:

投稿者:

タグ: