無罪判決

先日、小沢民主党元代表の裁判で、無罪判決が言い渡された。報道された詳細を考えたら、妥当な判決だったと思わざるを得ない。小沢氏と虚偽な報告書の作成を繋がる証拠は結局状況証拠に過ぎなかったし、検察側が挙げた証拠の中に事実と異なる記述があることも分かった。秘書が「小沢氏が報告を受けて、認めた」との供述もあったが、検察の捜査方法に問題があったため、証拠にはならなかったそうだ。この場合、有罪判決を言い渡すための根拠は全くないというしかない。

ちょっと前にニューヨークで逮捕されたストロッス=カーン氏の事件も似ている。その場合、結局証拠の問題で裁判にもならなかったし、証拠にはそれほど問題だあれば裁判になるべきではないと認めざるを得ない。

しかし、今でもストロッス=カーン氏にも小沢氏にも疑いが残っている。刑事裁判で、有罪であることを強く証明できないなら、無罪にするのは原則だから、無罪になったのは当然だが、無罪であることを明らかに証明する証拠もなかった。もちろん、両氏がずっと無罪を強調してきたが、有罪であってもそうする予想だから、傍らから見る人には説得力はない。

それ自体は残念に思うべきだろう。潔白を見せる方法はもう残っていないので、疑惑を払拭する機会はもうないだろう。それに、政治関係の問題も考えなければならない。告発される前に、小沢氏は日本首相の有力候補だったし、ストロッス=カーンはフランス大統領の有力候補だった。ストロッス=カーンの場合、もう大統領にならないのは決まっているし、小沢氏が首相になる可能性も低くなっている。法律上、二人共犯罪を犯していない状態だ。ストロッス=カーンは、政敵によって事件が盛り上がらせられたと言っているそうだが、その可能性はなくはない。小沢氏も同じ訴えを繰り返すが、検察の最近の犯罪を考えたらその可能性も十分ある。しかし、これも決まっていない。両氏は実に有罪である可能性も残っている。

この霧の中の状態で、民主主義の政治過程が損なわれる。黒幕に悪戯の刑事告発によって政敵を落とすことは、民主主義に背く行為だし、犯罪を犯した人が国の最高責任者になることも一切好ましくない。この事件を見たら、不安ばかりだ。