『神符守札の尊厳護持』

4月30日付の『神社新報』には興味のある記事は少なくなかったので、ブログで取り上げたいと思う。まずは、論説の『神符守札の尊厳護持』だ。この趣旨は、最近二つの好ましくない出来事があったので、それを批判して、神社の更なる尊厳への関心を喚起することだった。

一つの出来事は、私にはよく分からない。なぜなら、近畿地方の寺院で、アルバイトの大学生が「授与所内において破康恥な行為」を犯したとしか書いていないからだ。メディアに取り上げられたそうだが、私が見なかった。もう一つは、あるIT会社の広告だったので、これだと思う。今見たら、問題視された広告はもうないようだが、それは神社界からの反発に対応するためだっただろう。商品はお守りではないと書いてあるが、お守りを装っているし、消された広告で神社でお祓いを受けるシーンがあった。問題を深刻にしたのは、この商品でエッチな画像を隠すことができるのは、広告の中で示唆されたことだったようだ。

ここで、二つの疑問が私の中に沸いてくる。まず、一般の社会が尊厳護持するべきかどうか。考えたら、私はそう思わない。言論の自由や宗教の自由を尊敬するべきだが、そのような社会の中で宗教を軽蔑する言動があるはずだし、許すべきだ。宗教は、歴史を見たら人の行動を拘束するために使われた存在だから、厳しく批判したり軽蔑したりする行為は、言論の自由が守るべき中枢だ。広告の件は、その例だ。好ましく思わないと発表してもいいが、そうする権利も強調するべきだと私は思う。

そして、「破康恥な行為」の内容も気になる。推測する内容は、性的な行為だ。そうなら、具体的な描写を避けると思えるし、保守派の『神社新報』が認めない行為であることは確実だ。だが、そうなら尊厳護持に背くかが疑問になる。私は、性的な行為が悪いとは思わない。逆に、行為その物はいいことだと思わざるを得ない。もちろん、他のそもそもいい行為と同じように、ふさわしくない場所などがあるが、授与所はそうであるとは限らない。尊厳護持には具体的にどういう行動が必要かは、問題だ。江戸時代に遡ったら、女人が手を出すことが尊厳護持に背くと思われただろうが、現代ならそう言えない。

人であれば、相手の気持ちに触らない行動なら、尊厳を表すと言えるだろう。でも、お守りは人間ではない。仮に神が宿っているとしても、神様が適切な行動を指示してくれない。だから、基準は何だろう。皇室を重んじる行為が神道の尊厳護持に背くと思う神道を信奉する人もいるが、それは神道の中枢であることは神社本庁の立場だ。神社本庁が神道全般を定める立場にはいないので、だれが決めるだろう。行動する人に任せたら、例の寺院での行為は問題ない可能性もあるし、逆に尊敬を表すための行為の可能性さえ残っている。(行為の内容が分かったら、そうではないことは明らかであるだろうが、私には分からない。)

私も、神符守札の尊厳護持の重要性に賛同するが、具体的な表現方法について疑問はまだまだ多い。


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