運動会

真由喜が運動会の看板の前に立つ今日潮見台みどり幼稚園運動会が開催された。ゆり子がクラスの役員になってしまったので、午前7時半までに幼稚園に着かなければならなかった。最初、一緒に登園するつもりだったが、やはり無理だったので私と真由喜が30分後に登園した。着いたらすぐに真由喜が集合広場に行って、ほかのたんぽぽ組のお友達と一緒に待った。私がゆり子が取ってくれた席に行った。

役員の役割は、運動会の最初と最後だったので、運動会がちゃんと始めたら、ゆり子が私と一緒に座った。年中さんのかけっこを見たが、真由喜はよく見えなかった。席から反対側だったし、私が回ってもうまくビデオ取れなかった。しかし、真由喜の走る前のポーズは上手だった。そして、年中さんが『Kiss Kiss Bang Bang』の踊りをしたが、真由喜は私たちの目の前だったので、よく見えたし、ビデオも撮れた。私は、ビデオの画面越にしか見ないようにしたくなかったので、カメラから目を外して見たが、その結果途中で隣の子を写したこともあった。気づいたら治したが、ちょっと残念だ。

踊る前に真由喜はちょっとぼうっとしたが、音楽が始まったら、元気にダンスしてくれた。暑かったし、早起きだったので、力を集めたのではないかと思う。結局積極的だったので、良かった。

そして、親子競技もあったが、私が参加することになった。真由喜に尋ねるのを忘れたが、私を当たり前かのように受け入れたので、私になると思っただろう。競技は大変簡単だった。親がトンネルを作って、そして子供が走ってトンネルをくぐったら、親もくぐって自分の子を探して座る。初めて座る組が勝つ。たんぽぽ組は勝ちだったので、嬉しい。祝う為に真由喜を頭の上に上げたが、降ろしたら「もう一回!」と言った。やはりそのような遊びは大好きだ。

運動会が終わったら、真由喜と一緒に直接に川崎市外国人市民代表者会議に向かった。会議について明日書きたいが、真由喜が保育で楽しんだそうだ。帰りで、真由喜が「レストランで食べたい!」と言ったので、ゆり子と確認した。ゆり子は、「二人で食べてね」と答えたので、ゆり子は申少し一人での時間が欲しかったことが分かった。真由喜に外食することを伝えたら、喜んだが、一旦帰って着替えたがった。(まだ体操着だった。)着替えを持っていたので、レストランで着替える企画を提案したが、真由喜は拒否。だから、説明した。「マミーはもう少し一人でのんびりしたいと思うが、食べる前に帰ったらマミーがよく休めない。だから、レストランに直接に行こう。」真由喜がちょっと考えてから、「レストランのトイレで着替えるしかないね」と言ってくれた。そして、レストランから、ゆり子へ「楽しんでいるので、ゆっくりのんびりしてね」とのメールを送るように指示した。つまり、ゆり子の為に真由喜のやりたいことを止めた。それに、レストランでご機嫌だった。(まぁ、ラーメンを待っていた間にちょっと待ち切れない感じだったけれども。)感動した。生活の中でこのような小さいことが重要だ。

真由喜は「今日は楽しかった」と言ってくれたので、本当に良かった。

編集

今日、編集に専念するつもりだ。二つのプロジェクトが重なって入ってきたし、前からの編集は先週終わらせようとしたが、ちょっと間に合わなかった。それに、予定通りに進んだら、明日もまたプロジェクトが入る。実はちょっと遅れそうだが、それは数日程度だから、来週に入るはずだ。幸い、今日レッスンはちょっと少なくなったので、集中すればかなり進めると思う。

だから、ブログをちょっと短くして、編集する。

『神話のおへそ』

『神話のおへそ』という本は、神社検定の公式テキスト②だ。最近読んで紹介する本のタイトルは分かりやすいので、この本で日本神話が紹介されることは想像に難くないだろう。でも、本の構造は面白いし、注目を引いた点もあるので、ちょっと詳しく説明する。

本の背骨と言える内容は、古事記に沿って日本の神話を語ることだ。古事記の現代語訳というより、神話の内容を超訳したと言った方がいいだろう。つまり、言葉遣いや表現より神話の内容を重視する示し方だ。神話に添えた注釈もある。この注釈は、神話が世界のほかの神話と類似する点を指摘するところもあるし、神話の粗筋を主張するところもあるし、日本書紀などで記載される内容と比較するところもある。神様の名前の由来や意味を説明するところもあるし、神話の構成を図化する。この図が検定の問題の素になるのではないかと思った。

神話の語りが古事記に沿うとは言え、伊勢の神宮の創祀への経緯などの古事記に詳しく取り上げられないところは、日本書紀や風土記から引用して紹介するので、日本神話全般を紹介しようとすると言えよう。先ずは、天地開闢から神武天皇の即位までの流れを体系的に語る。そして、それからの逸話を選んで、大神神社や伊勢の神宮にまつわる話を紹介したり、日本武尊の話も詳しく語られる。後半に注釈が話の粗筋に過ぎないところが多くなったような気がしたが、作者の専門分野からちょっと離れてきたからだろう。

神話の紹介に交えるのは、『皇室』という雑誌から転載された現地ルポだ。つまり、記者が神話に登場する場所を訪れ、神話と関わる神社に参拝して、祭りに参列することを記事で紹介する。写真も掲載されるので、面白い部分だ。もともとこの本に載せる為に書いたわけはないので、神話の粗筋を含めるところがあるので、本の内容が冠る。ちょっと問題として感じたところもあったが、一概に批判できない。なぜなら、神話を別な立場から紹介してもらったら、習得しやすくなるからだ。詳細が紛らわしくなるケースがあるとしても、それでも大胆の流れがより堅固になるのではないか。それに、神宮が伊勢に鎮座するまでの経緯で『古事記』でも『日本書紀』でもなくて、『倭姫命世記』という書籍による。これは、鎌倉時代に伊勢神道で著された書物で、正当性が認められるのは珍しい。

神話のところ以外、このルポは興味深い。現地に行って、神話の関わる神社の宮司の話を聞いた記者の説明で知る神社や祭祀は、周知の祭りもあれば、初耳だった祭りもある。そして、宮司の意見や立場も様々だった。話し方から推測すれば神話を歴史書として考える宮司もいるが、明らかに神話は事実の話ではないと明言する宮司もある。祭りも、多様多彩だから、神道の豊富さを改めて感じた。一度参拝してみたい神社は多かった。特に最後の方に紹介された丹後半島の天橋立に近く鎮座する豊受大神の元来の鎮座地の元伊勢籠神社に参拝したいと思う。川崎市から遠いので、機会を待つしかないけれども。

最後に著者の一人の國學院大學の茂木教授が日本神話の世界の中の位置について語る。先生が述べるのは、纏まった神話自体は珍しいが、太古に纏められた神話は特に珍しいという。それは確かにそうだ。ギリシャの神話は、日本の神話より1500年も前に纏められたが、ギリシャ神話の神はもう過去の神で、もう現在のギリシャの生活とは無関係だ。一方、日本の神話で登場する神様は、まだ日本人の生活と密着な関係を持つと先生がさらに述べる。ルポで紹介された神社や祭りがその証拠にもなる。これも確かだ。日本の神話は、世界中特に古いかというと、そうではない。そして、まだ生きている神話は、日本の神話だけかと聞いても、そうでもない。しかし、生きている神話は数少ない。ユダヤ人の神話は紀元前から現在まで続いてきて、特に古い例であるし、インドのヒンデュ教の神話も古くて、今も生きている。仏教の神話は紀元前からあるものだし、キリスト教の神話も2000年前にまとめられた。しかし、イスラム教の神話と言えば、日本の神話とほぼ同時に纏められ、今日まで受け継がれた。だから、日本の神話は唯一の存在ではないが、類似する物は少ない重要な存在であることは確かだ。

もう一つ重要なポイントがあった。茂木先生は、神話の大半は歴史上の事実ではないと明記する。古代の人の考え方を把握するためには役に立つし、日本の伝統的な精神を垣間みるためにも貴重だが、実にあったことではない。前に触れた通り、ある神社の宮司も同じことを言った。一方、イスラム教の神話を事実ではないとイスラム教徒は言わないだろう。キリスト教徒がキリスト教の神話を疑えば、話題になりがちだ。冷静に「神話は神話だ。歴史とは別だ」と認めることは、神道のもう一つの利点だと思う。少なくとも、私は神話を歴史として認めることはできないので、その必要はないからこそ神道を信奉することができる。

この本は、公式テキスト①の『神社のいろは』と違って、検定を受けない人にはすぐに勧めない。神話を知る為に、『古事記』や『日本書紀』などの注釈付きの現代語訳を読んだ方がいいのではないかと思うからだ。しかし、神話の考え直したくなったら、この本がいい機会になると思うので、勧める。そして、検定を受検するつもりがあれば、もちろんお勧めだ。ただし、今年の検定は間もなくだ。速読しないと間に合わない。

考古学から見る伊勢の神宮~神道を知る講座VIII第3回

先日は國學院大學のオープンカレッジの神道講座が開かれた。第2回を仕事のために欠席したが、ブログで書いていないが、今週行けたので書きたいと思う。そして、今週の講義の内容は特に興味深かった。講師を務めたのは國學院大學の笹生先生だったが、専門は考古学だから考古学の立場からの分析だった。

焦点は、古代の景観だった。神宮では、伊勢市での発掘調査で縄文時代から中世まで使われた集落は、内宮に近いところに発見された。特に5世紀代から盛んになったそうだ。そして、集落に隣接された古墳群もあるそうだ。これは6世紀半ばからだそうだが、古墳は円墳で、直径10メートルぐらいという。そして、内宮の宮域からも出土品があるが、この遺品は5世紀代以降のものだそうだ。

この成果を合わせたら、次のような推測がある。5世紀に神宮の祭場が成立したが、6世紀から祭祀を行う人たちの集落の隣に祭主の古墳が作られた。笹生先生によると、これは単純な墓ではなく、祖先を崇拝するための施設として思ったほうがいいそうだ。つまり、祭司の職が世襲され、先祖を大事にすることになった。

そして、外宮の周辺にも古墳がある。集落があったとも推測されるが、推測する位置は伊勢駅の下だから、発掘調査はできない。古墳の内に車塚古墳という前方後円墳がある。全長は43メートルだし、6世紀中頃の須恵器が採集されたそうだ。この古墳の後円部の上には、田上大水神社が鎮座する。この神社は17世紀に再興されたが、中世の資料には御祭神は欽明天皇の御代の神主であるとされているそうだ。欽明天皇は、6世紀中頃に御在位したので、この神社の御祭神は、古墳の被葬者である可能性は十分あると思える。神道にはないとされることだが、昔に遡ったら、別な形で祭祀したようだ。

それから、鹿島神宮と宗像大社の事情も照り合わせた。同じようなパターンが見えるが、古墳の規模は伊勢よりずいぶん大きいそうだ。同じように5世紀や6世紀から成立するそうだが、宗像大社の沖ノ島での祭祀は、4世紀から始まったが、5世紀には画期があったそうだ。九州からの祭具が現れることだから、地方豪族が祭祀を担うことになったのではないかと笹生先生が言った。

証拠を考えたら、5世紀中頃には神道の祭祀には大きな変化があったと言えるだろう。そして、鹿島神宮や宗像神社は、祭祀は直接に地方の豪族によって行った可能性は高いが、伊勢の古墳の規模を考えたら、伊勢に居住した人の位はそれほど高くなかったようだ。つまり、神宮は王権の祭祀を行ったが、王朝から委託されたので現地で祭祀に携わった人は大王の臣に過ぎなかった。

それに、神宮の伝承を見たら、内宮は紀元前の垂仁天皇の御代に建立されたそうだが、外宮は雄略天皇に建立されたそうだ。雄略天皇は垂仁天皇と違って実存した歴史的な人物だし、雄略天皇の御代はちょうど5世紀だった。だから、私の推測は、神宮は実は雄略天皇によって建立されたのではないか。後世になって、歴史をより遡らせようとして垂仁天皇の時代に託したが、雄略天皇と完全に切り離すことはできず、外宮の建立を雄略天皇の御代にした。これは、笹生先生が言ったことではないので、私の考えに過ぎない。

そして、様々な証拠を集めて、神道と言える信仰が5世紀に始まったのではないかと私が思う。4世紀には前駆者のような現象があるが、神話などに記載されたことも5世紀に当たるそうだし、考古学の成果は、古社の歴史も5世紀から始まることは多いようだ。「神道」という言葉はまだ使われていなかったと思ったほうがいいが、現在から神道の発展を把握するために、5世紀から神道が存在したと考えたほうがいいと思う。5世紀は、大和王権の成立の時代でもあるので、神道と大和王権の間に密接な関係が最初からあったと言えるだろう。でも、地方の豪族との関係も深かったので、単純な形態ではなかっただろう。

神宮の土器や織物を作る場所の考古学的な調査についても笹生先生が話してくれたが、それを省略する。これほど興味深い内容だったので、仕事の状況が次回への出席を許したらいい。