眠い・・・

眠い。

原因は二つ。一つは、仕事で忙しいので、疲れたからだ。もう一つは、真由喜が夜中に起きたからだ。

午前3時ぐらいから、真由喜が咳した。咳がどんどん酷くなったので、吐くかと思って、洗面器やタオルを取りに行った。だが、私がベッドから出たら、真由喜も起きて、私を追ってきた。

「ジョージ見たい」と言った。03:45だった。しかし、一緒にテレビを見たら、真由喜が座ったら咳が治まると思ったので、許した。ベッドルームのドアを閉めて、ゆり子が寝れるようにしたが、今朝話したら効果的だったそうだ。ゆり子が思ったのは、真由喜が起きて、そしてすぐにベッドに戻ったことだったので、やはりその間にゆり子がまた寝たようだ。

一緒にテレビを見たら、真由喜の咳が無くなったので、番組が終わったら一緒にベッドに戻って、真由喜が即座に寝付いた。今朝も咳なかったので、結局良かった。

でも眠い。

ところで、最近の真由喜のもう一つの出来事を書きたいと思う。先日動物についての番組を見て、チータが鹿を食べるシーンを見た。ゆり子が説明して、「鹿は可哀想だね」と言ったが、真由喜の答えに感動した。「でも、食べないとチータも可哀想だ。お腹ぺこぺこ。」

このような広い共感はとてもいいと思う。状況の把握を簡素過ぎるように捉える恐れを予防する。ちょっといい発言だと思った。

ドイツから

今日、ドイツ人の友人と昼食を食べた。この友達は、TRPGの業界で働いて、最近英語の自分の作品を訳して、私にチェックさせてくれた。だから、その作品の状況について(順調だそうだ)や業界の現状について話した。

日本に来た目的は、日本語を勉強することだったので、日本語がどんどん上手になっている。それでも、英語で話した。私のドイツ語は存在しないので、仕方がない。やはり、ドイツや北欧の教育で、英語がよく教えられる。私の日本語がドイツ人の英語のレベルに達したら、喜ぶ。

ところで、日本論理検定協会の仕事が一層忙しくないそうだ。ブログを維持するつもりだが、暫くの間短い投稿が頻出する可能性はかなり高い。お許しください。

『からだ』

先日、歯を磨いていた時、真由喜が急に「口の中を見えるが、体の中を見えないね。」と言い出した。そうすると、口を広く開けて、鏡で口の中を見た。

「そうだね」と答えたら、真由喜が

「体の中が見える絵本があったらいいね」と続いた。

「あるよ。」と私が言ったら、真由喜は

「どこ?見たい!」と言ったので、「まだ本屋さんにあるが、買ってくる」と言った。

早速、仕事からの帰り道で溝の口にある本屋さんによって、子供図鑑を検討して、学研の「ふしぎ・びっくち!?こども図鑑」シリーズの『からだ』という本を選んだ。

帰ったら、すぐに真由喜に見せた。一瞬大喜び、そして開けたら中にはお絵描きするスペースはないことにちょっとがっかりした。私が即座に「本に載った絵を見て、自分の絵を描いてもいい」と納得させたので、一緒に本を読み始めた。

私が絵などに基づいて体の仕組みを英語で説明したら、真由喜が日本語で繰り替えして確認した。もちろん、日本語の単語を読み上げたが、組み合わせを英語から分かって、日本語で語ったので、それで理解が深まると思う。その日、ずっと読みたがったし、今も気に入っているようだから、成功だった。

実は、真由喜の本を買うために特別予算があるが、最近機会はなかった。だから、真由喜が本に興味を示したら、すぐに買ってあげた。これが真由喜の癖になるかもしれないが、つまり「本を求めたらすぐにもらうので、本を求めよう!」と思うようになるだろうが、私は構わない。本をたくさん読んだら、知識のいい基盤になるからだ。

「神社」と「神」の英訳

6月25日付の『神社新報』には、英訳についての記事が載っている。式年遷宮を控えて、伊勢の神宮が適切な英訳を考えていたそうだが、伊勢の神宮を「Shinto Temple」と訳すと報道された。この報道が騒ぎを起こしたそうだ。「Temple」は英語で仏教のお寺の訳になるので、伊勢の神宮には仏教の要素があることを示すと誤解した人がいたようだ。実は、英語でTempleは広く使われている。多神教であれば、「temple」を使ってもいいと言えるので、神宮を「Shinto Temple」と呼んでも差し支えないと思う。

神道の人が「shrine」には聖人の遺骨が安置される建物を指すと言うが、私にはそういうニュアンスはない。強いて言えば、「shrine」がその場には、他の場よりいる存在を祀る雰囲気だ。だから、キリスト教のGodを、shrineで祀らない。なぜなら、どこでもいる存在だからだ。一方、聖人などが特定な場所と縁があるので、shrineで祀る。聖人の遺骨が安置される場所は、特別な縁の一つの例に過ぎない。だから、神社をshrineと訳しても、私には違和感は全くない。

しかし、今の神宮の狙いは、神社をそのままjinjaとして訳してもらうことだそうだ。これももちろん悪くない。神道はもうShintoとして訳されるので、Shintoの聖なる区域をjinjaというパターンは、英語圏の人には難しくないだろう。ただし、shrineでもtempleでもいいとも思うし、説明する時には必ずJinja is the word for a Shinto templeと説明するに違いない。でも、神道の神社の特徴を思わせるので、利点もある。

他方、神をkamiとして訳してもらうのは大変重要だと思う。Godは、神と大きく異なるので、誤解を招く。Spiritという言葉もあるが、これもちょっと違う。だから、kamiをそのまま表記したほうがいいと私は思う。実は、このやり方はもう普及していると思うので、ちょうども一つの言葉の普及と取り組んでもいい状態になっただろう。