先日、都心の喫茶店でレッスンを行った。ドアの付近に座っていたので、人が入ると気づく。四人家族が入ったが、純日本人に見えた。父親、母親、と小学生低学年位の娘二人だった。娘が喋り出した。
「I want to sit outside.」
完璧なアメリカなまりだった。びっくりした。ハーフにも見えなかったし。
このびっくりは、人種差別だろうか。私はそう思わない。東京にいる日本人に見える子供達の大半は、日本語しか喋れない。だから喋ったら日本語が発信されると自然に予想する。予想したことにも気づかない。だから、その予想が叶わなければ、当然びっくりする。日本に住んでいる外国人には同じような現象をびっくりされる立場から経験することは少なくないだろう。確かに最近外国人も日本語ができることはびっくりするほどではないようだが、例えば私が神道に興味を持つことでびっくりする日本人は少なくない。
生きる為にこのような予想は必要だ。偏見や差別は、事実に合わせるために予想を更新しないことだろう。この点で気をつけなければならない。
コメント
“偏見?” への1件のコメント
時々、記事を読ませていただいています。
2点コメントします。
1 アメリカ”なまり”と表現したことにつき拍手。日本人として英語圏の多様さに、もっと気づくべきと常々考えているからです。
2 私の感覚においても、この驚きは偏見ではありません。一方、以下の例は本当の偏見と思います(昨年のできごと)。
例、
外国人留学生の言葉が、わざわざカタカナの日本語として記されているある大学のポスター(この大学は国際性を強調しようとしているのだが、、)