宇宙の存在

哲学を考えれば、「宇宙がなぜ存在するか」という質問がよく浮上する。聖書でヤッウェが想像する話もあるし、古事記の最初は天地開闢だ。しかし、「ヤッウェがなぜ存在するか」という質問が残る。答えはあるのか。

問題は、質問の意味は明らかではないということだ。私が「東京スカイツリーがなぜ存在するか」を聞いたら、出現までの経緯を尋ねる。答えが分からなくても、何を検討するべきかはよくわかる。同じように、「地球がなぜ存在するか」というより大規模な質問でも、同じように出現までの経緯を追究すればいい。聖書や古事記の神話を見たら、そこでも宇宙の出現までの経緯が書いてある。しかし、この場合は答えはならない。なずなら、宇宙はすべての存在することを指すからだ。時空も指す。だから、出現までの経緯はないようだ。時間が存在する前はないし、空間のそとのところもない。答えがあれば、他の答えと根本的に違う。

まだ問題がある。「なぜそんざいするか」という質問は、「なぜ宇宙のなかに存在するか」という意味だ。なぜ空想に止まらないか、などの意味も含む。しかし、宇宙を全般的に問えば、「存在」の意味は何だろう。何を説明したらいいのか。宇宙の中の存在ではないのは明らかだが、それ以外の意味は不明だ。

つまり、宇宙の一部について尋ねたらいい質問だし、意味は明白だが、宇宙全体について尋ねたら、意味不明になってしまう。それでも、現実と空虚の違いは何、という質問は馬鹿な質問ではない。問題は、どうやって答えられるかは分かり辛いことだ。これは哲学の本役だと私は思う。質問に答えるより、質問に答える方法を明かすこと。


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