通勤時間

最近考えたことは、通勤時間を勤務時間の一部として看做されたらいいのではないかということだ。

通勤の時間は、働くために、つまり勤め先の為に費やす時間だ。そうであれば、勤め先が支払うべきなのではないか。

もちろん、通勤時間を毎日の実際の時間で計算するわけにはいかない。その代わりに、時間通りに出勤するために、何時に家を出なければならないことに基づいて計算するべきだと思う。計算する為に、歩いて行くか、自転車を使うか、それとも公衆交通機関をつかうかを想定して、一番早い方法で定める。わざと時間がかかる方法を選んだら、それは勤務先のためにではないので、勤務先の負担になってはいけない。一方、自動車で計算すれば、自動車を持つことが前提になる。会社が車を無償で渡す筈はないので、負担を社員に転嫁する。だから許さない。

収入に影響を与える場合は実に少ない。最低賃金に近い人に限る。正社員は、通勤時間を組み入れても、最低賃金を上回るからだ。でも、勤務時間の制限を法律で定めたら、影響を与える。

通勤時間が勤務時間に含まれなかったら、勤務先が事実上占領する時間が机上の時間を大きく上回る場合がある。特に非正規労働者の場合、あちこちの勤務先へ移動する必要があるので、抵抗力が一番弱い人には負担が一番重くなる。法律の役割はそのような状態を防ぐことだから、法律の範囲に入れてもいいと思ってきた。

仕事の内容

昨日と今日の職場で、仕事の一部が協会のホームページの管理になった。元々、私の仕事ではなかったが、このブログを六年間管理して、ホームページの管理ができるようになった。だから、ホームページの編集が必要になったし、私はオフィスにいたので、することになった。重要なのは、他の人に更新しやすくすることだから、配慮しながら管理した。管理で、自分のphpを作成することになったので、同じような管理ができる人は一人しかいないと思うが、それができたらブログの投稿を書くことで更新できるようになったので、これから私が手を出さなくてもいいと思う。

始まる前に、どうするか分からなかったが、サイトの構成が分かれば、ネットですぐに必要な詳しい情報を入手できる。役に立つ質問が分かれば、グーグルがすぐに答えてくれる。

だから、仕事に相応しいのではないかと思った。なぜなら、講座や検定で強調することは、話の構成が分かれば、そして何の質問をしたらいいかも分かれば、内容の詳細が問題にならないことであるからだ。もう一度体験した。

日枝神社のお一日まいり

今日、東京の日枝神社のお一日まいりに参列しました。仕事のスケジュールが許したら、参列する方針だが、今日の参拝が三回目となった。参拝自体はいつもの通りだったが、解散の時で、もう一人の参列者に話しかけてもらった。

その方が私の参列を見て、三回続いたことに気づいたので、ちょっとお話したかったと言ってくれた。やはり、私が神道の儀式に参列すれば、目立つので、覚えてもらうことは多い。いい話ができたが、二つの興味深い点があった。

一つは、「神様を信じていますか」と聞かれたことだ。初めてだった。神話通りに信じないが、何かがいるかと思うと答えたが、神道の環境で珍しい質問だ。その前に、「キリシタンですか」とも聞かれたので、日本人の宗教観と西欧人の宗教観の差が浮き彫りになった。(西欧の感覚で、キリシタンであれば連続的に神社の儀式に参列する筈はない。)

もう一つは、会話の流れで慰安婦問題に触れたが、その方の態度は、一番適切に謝罪する方法を中心にした。私もそう思うが、神道の一般的なイメージとちょっと離れると思う。慰安婦問題を否定する態度は、神社に付けられるような気がする。

もう一度実感したのは、神道の多様性だった。一つの観点から神道を把握しようとすれば、理解できないのは、私の持論になった。

とてもいい人だったので、今日参列して良かった。