国会議員の選挙区

30日、大阪維新の会の代表の橋下徹大阪市長が国会議員の定数についての指針を発表した。半減するつもりだそうだ。選挙区を150にして、比例代表の定数を90人にするという。理由として、狭い選挙区で地元の団体や有力者に左右され、葬式や盆踊りに行くばかりだという。選挙区が広くなったら、そういうことが自然になくなって、国全体の問題に集中できる、と。

比例代表の定数は別だが、選挙区の話に私は強く反対する。

先ず、代議士が地元の団体などの意見に影響され、その意見を中央の政府へ持ち込むことは、代議士の本業だ。妨げどころか、存在意義だ。宮崎県の代議士がいて、宮崎県民の心配や苦労を国会で訴えるからこそ、東京や大阪の大都会のために田舎を犠牲できない。そして、政治家は政治家としか話さなかったら、一般国民の立場が分からなくなる。盆踊りに行ったり、葬式に参列したり、地元の神社でだるまの目を塗ったりすることで、国民と接するし、選挙区の実態を或る程度把握できる。国全体の実態を把握するのは、無理だ。でも、50万人程度の選挙区なら、頑張れば一応できるのではないか。正直に言えば、それでも大きいが、倍になったら明らかに無理になる。だから、選挙区をそれほど広めたら、民主主義の重要な要素が失われる。

それだけではない。現在の制度で、政治家が選挙区で拠点を築くことはできる。地元の人の悩みに共感して、解決に向けて努力すれば、選挙区の有権者が代議士を支持するようになる。つまり、政党ではなく、その人間を支持するようになる。だから、党執行部が代議士の理念に背く方針を強いれば、代議士が反対できる。党から追放されても、地元の基盤はまだあるので、再選できるし、党の方針を変えようとできる。もちろん、実例は少ないが、城内実氏はその一人だ。この可能性があるのは重大だと思う。これはないと、党執行部の権力が強過ぎる。代議士は党執行部に逆らうことはできなくなったら、総裁などの権力が独裁者のようになる。民主主義で、論争があるのは常時のことであるべきだ。

完璧な選挙制度は存在しないと思うが、橋下市長の提案は、日本の制度の改悪だと思わざるを得ない。