この本は、山村明義氏が著した書物だ。山村氏は元ジャーナリストで、ノンフィクション作家になったそうだ。この作品を創造するために、数年を掛けて全国を回って神職や神社関係者を取材したという。その苦労の成果として、本には十数人の神職などとの取材の詳細が納められた。神道の現状を把握するために掛け替えのない素晴らしい作品だ。強く薦める。
私が何回も主張したが、神道は多種多様である。したがって、この本に収録された神職などの経験も多種多様だ。そのため、本の内容を一括りで要約するのは大変難しい。今まで読んだ本より神道の現状が見える本だということしかできるまい。だから、要約せずに、私にとって特に興味深い点を取り上げたいと思う。
先ず、渡来人の私にとって身近なテーマで、本のタイトルにも出てくる神道と日本人との結びつきについて考えたい。この点で、山村氏には安定した態度はないように見える。タイトルは『神道と日本人』で、帯には「「日本人らしさ」の原点とは何かー。」と書いてある。本の数カ所で日本人の精神性を説明する為に神道を解く。だから、山村氏が神道と日本人が密接すると思うようだ。
一方、第六章は、「海を越え、つながり合う」と題して、海外の神道を扱う。特にアメリカ本土に鎮座するアメリカ椿大社の宮司のバリッシュ氏について、神職の模範として取り上げる。確かに、バリッシュ氏と直接に話し合ったことがあるように見えないが、三重県の椿大社の宮司の語りに基づいて描写したと思う。主張は、神道が外国人を拒むことは一切ないということだ。神道の寛容性を強調し、神社で誰でもが受け入れられ、神道に参加できるという。
これを矛盾と呼ぶのは過言だが、この二つの観点が完全に合致するとも言えない。この問題を解消する為に、史実と現実をちょっと見たらよいだろう。神道は、海外から何回も何らかの影響を受けたとはいえ、日本で発生して展開してきた。海外に鎮座する神社は存在するものの、数少ない。海外への布教も過去にも今にも消極的だ。(国内の布教さえ積極的ではない。)その結果、神道を信奉する人の殆どは日本の生まれ育ちの日本人だ。そして、神道の儀式や概念が日本での生活に浸透したとは否めない。明治維新の前に神仏習合の形だったが、お盆さえ元々神道の概念から生じた行事だ。人が日本に生きれば、神道と接することは避けられないのは過言ではない。その結果、日本人は皆神道の影響を受けたと言えよう。
したがって、神道を考えれば、自然に日本人を考えるし、日本人を考えれば、神道を無視することはできない。「神道=日本人」かのように語るのは、当然だ。むしろ、この言い方を避けるのは極めて難しい。(私は例外だ。私が神道を語れば、神道には外国人がいることは、聞き手の意識から離れないだろう。)だから、根本的に外国人が神道を信奉したらいいと思っても、神道と日本人を同様に語る傾向は強い。しかし、そういう風に語れば、外国人は神道の範囲に入っていないかのように捉えられる。
日本語で神道のことを論じたら、深刻な問題になるまい。読者の殆どは日本人だから、排除された気分にならないからだ。しかし、英語などで語れば、気を付けなければならない点になるのではないか。神道を寛容に思いながら排他的な印象を与えるのはよくない。この本でも、そう言う印象を受けたところは少なくなかったが、対象層は日本人だから、仕方はあるまい。
次に、境内保護に努めた神職の話も印象的だった。流山諏訪神社の社叢の例が挙げられる。流山諏訪神社は、千葉県に鎮座するが、前代の宮司が就任した昭和7年には、境内が狭くなって、鎮守の杜はほとんどなかったそうだ。それから、宮司が氏子と一緒に努力して、境内を拡大して、植林に励んだそうだ。今お参りすれば、鬱蒼する木々が空へ聳えるそうだ。そして、山形県に鎮座する獅子口明神という神社の話で、道路の計画で「神の道」という神聖な土地が脅かされ、神職が共産党の国会議員とも組んで計画を修正させた話もある。
これで、神職が神社の近所の自然を守ることが明らかになる。高く評価したい態度だが、より広く環境問題と取り組む神職が出て来ない。出雲大社をはじめ島根県の神社の神職が自然の変異を指摘したそうだが、社会と向き合って地球の環境問題の解決を促すことはあまりない。これも、神道の地域性から発生する現象なのだろう。氏神様の区域の中で考えることも、地元の絆を重んじることも、同じだ。地元以外のことに目を向けることは少ないと言えるだろう。この態度そのものはいいと思うが、世界規模の問題を忘れてはならない。自分の地元の環境問題を、近隣の人びとと組んだら自分の力で解決できるので、自信と達成感を受ける。他方、世界の問題は一人の人間の力に一粒でも変えられないように見える。それでも、世界の問題が地域の問題へ大きな影響を与えるので、両方を考えなければならない。
本の為に取材された神職の奉職先は、出雲大社のような有名な神社から無名の民社まで及ぶし、神職の性格も神道の観念も違う。女性の神職も少なくないし、世襲していない神職もいる。だから、この本を読んだら多くの立場から現在の神社神道を見ることができる。ただし、神道の基礎知識はなかったら、ちょっと分かり難いところがあると思う。山村氏が欄外注を付け加えたが、二行で説明できる内容には限度があるので、まだ難しくなるところが残る。だから、この本の価値が分かる為に、神道の入門書を読んでからこの本を読んだ方がよい。そうすれば、現在の神社神道の深い理解を得ると私は思う。