この本はまた武光誠氏の著書で、神道を紹介する本だ。しかし、いつもと違う立場からの入門書だ。タイトルの「もののけ」は、物怪の意味で、幽霊も妖怪も化け物も指す。つまり、この本で神道の不思議な存在との関係が描写される。神話より民話が中心になるので、記紀神話に登場する神があまり扱われない。神道のイメージは新鮮だ。
第一章で異形の神を取り上げる。それは、巨大な神、小さな神、天狗、河童などの妖怪だ。第二章で、自然への畏敬を象徴する神が紹介されるので、水を司る蛇の神、そして狐、狸、化け猫が紹介される。因幡の白兎も紹介されるので、記紀神話が完全に無視されると誤解させないように気をつけなければならない。第三章で怨霊信仰を説明するので、古代歴史がかなり語れる。第四章で、怨霊が幽霊になってからの信仰について書く。
これらの民話の神の共通点を一括りで言えば、地元の神であることだ。菅原道真公のように全国に広まった例もあるが、そもそもあるところの話から発生した神だ。天神も、菅原道真公の藤原時平への怨みから生まれたが、朝廷との関連から全国的な神になったといえよう。あるところの狐がそのところの神になるし、河童も特定された川と関わる。常陸国風土記に出てくる蛇の神も、そのところで祀られるが、神社は一つしかない。活動範囲は狭いことに伴って、この神の力はそれほど強くない。河童は、神として祀られることはあるが、人間に負ける話も多いそうだ。神として祀ってもらうために、不思議な力を持たなければならないが、不思議な力を持つからと言って、全面的に人間を勝るとは限らないようだ。神道の八百万の神々の中にこのような神も含まれることは忘れてはならない。
そして、神道というのは、あるところの出来事から発生した信仰も含むことは重要だと私は思う。特定された神々のなかから御祭神を選ぶわけではない。この多様性は、詳細を把握することのできない事実だ。つまり、神道がいつも定義や理論からはみ出る。私は、この要素を高く評価する。中央から押し付けられた信仰ではなく、ある人、ある共同体の事情によって構えられた信仰である。明治時代にこの要素を塗り潰そうとする政府の動きは強かったが、完全に神道を統一化することはできなかった証拠はまだまだ多い。今日、神社本庁が神社の多様性を認めるが、統一な「秩序」を狙う傾向はまだ強いだろう。
この本の話から明らかになることはもう一つある。これは、武光氏が指摘する点でもある。よくあるパターンは、最初に怖い祟り神として祀られた存在が鎮まって、幸福をもたらす神になる経過だ。一番はっきりした例は怨霊だろう。不幸な死を遂げた人が怨みや怒りで災害や疫病をもたらすので、神社が建立され、怨霊が神として祀られるようになる。しかし、祀られたから福神になる。神道で、悪神が善神に成長する過程は多いようだ。スサノオの尊は一番有名な例だろう。天狗も、文献で最初に現れる段階で怖い物怪だが、鎌倉時代には人間を助ける存在になるそうだ。悪だからといって、ずっと悪であるとは限らない。この成長を認めることも、神道のよいところだと思う。
この本を読めば、神道をいつもと違う角度から見えると思うので、お勧めだ。しかし、最初の入門書ではない。武光氏の他の神道の入門書や他の作者の著書を読んでから、この本も読んだら最適だと思う。