行政と宗教

どこの国でも行政と宗教の関係が課題になる。アメリカで、訴訟は多くて、政府が社会福祉などを宗教終段に委託してもいいかどうかが問われる。イギリスで、国家教会があって、宗教者のビショップが国会に宗教の資格で参加するが、この現状に反対する声は少なくない。最近のロシアで「Pussy Riot」という三人の女性が教会で反政府デモを行ったために逮捕され、懲役数年に罰された。日本でも問題が頻繁に怒るのはいうまでもない。先月の『神社新報』を読んだら、「政教関係を正す会」という組織についての記事が載った。政教関係を正すというのは、具体的に何のことだろう。

個人の宗教の自由を保障するのは基本だ。日本でこの点は共有だと思う。その点から考えたら、明らかな要素がある。

まず、宗教的な活動を禁じることは許されない。他の問題と取り組む法律も、宗教の実践に接触しないように気をつけるべきだ。もちろん、この自由には限度がある。子供を生贄とする宗教の実践を禁じるべきだし、儀式で覚醒剤を使う宗教についても慎重に考えるべきだ。それでも、基本的な姿勢は、宗教の実践や概念を自由にする。

そして、宗教的な活動を義務にすることも許されない。例えば、神社参拝が修学旅行に組み込まれたら、子供には脱退する権利がある。公立学校が宗教施設に行くことは問題ないが、儀式への参加を義務化するのはダメだ。同じように、靖国神社が国立になったら、名簿からの戦没者の名前の削除を認めなければならない。そうしないと、国家が宗教的な活動に強制的に参加させるからだ。一方、靖国神社が私立のままであれば、名簿からの削除を命じることが宗教的な活動を禁じることに等しいので、政府はそうできない。

しかし、行政が公式に宗教的な儀式に参加することは、基本的に問題にならない。特に臨時的な参加であれば、問題が少なくなる。そして、行政が複数の宗教の儀式に参加すれば、問題がますます小さくなる。同じように、行政が宗教的な活動を補助してもいい。ただし、補助の基準は、宗教的な要素にしては行けない。歴史的な日本文化であることを基準にしたら、神社の行事、仏閣の行事、そして隠れキリシタンの行事が対象になるだろう。国宝や重要文化財と同じだ。もう一つの共通点は、行政の援助と宗教が合致しない可能性がある。つまり、宗教の自由で援助の条件を破る可能性はある。そのばあい、宗教の自由を優先するべきだと思う。

つまり、今の日本で、政教分離を厳しすぎて考えられると思う。しかし、戦前の国家神道の状態に近づいては行けない。靖国神社の例のように、国立になったら神道の宗教の自由が侵されるし、他の宗教の自由の制限されてしまう。

国会議員の選挙区

30日、大阪維新の会の代表の橋下徹大阪市長が国会議員の定数についての指針を発表した。半減するつもりだそうだ。選挙区を150にして、比例代表の定数を90人にするという。理由として、狭い選挙区で地元の団体や有力者に左右され、葬式や盆踊りに行くばかりだという。選挙区が広くなったら、そういうことが自然になくなって、国全体の問題に集中できる、と。

比例代表の定数は別だが、選挙区の話に私は強く反対する。

先ず、代議士が地元の団体などの意見に影響され、その意見を中央の政府へ持ち込むことは、代議士の本業だ。妨げどころか、存在意義だ。宮崎県の代議士がいて、宮崎県民の心配や苦労を国会で訴えるからこそ、東京や大阪の大都会のために田舎を犠牲できない。そして、政治家は政治家としか話さなかったら、一般国民の立場が分からなくなる。盆踊りに行ったり、葬式に参列したり、地元の神社でだるまの目を塗ったりすることで、国民と接するし、選挙区の実態を或る程度把握できる。国全体の実態を把握するのは、無理だ。でも、50万人程度の選挙区なら、頑張れば一応できるのではないか。正直に言えば、それでも大きいが、倍になったら明らかに無理になる。だから、選挙区をそれほど広めたら、民主主義の重要な要素が失われる。

それだけではない。現在の制度で、政治家が選挙区で拠点を築くことはできる。地元の人の悩みに共感して、解決に向けて努力すれば、選挙区の有権者が代議士を支持するようになる。つまり、政党ではなく、その人間を支持するようになる。だから、党執行部が代議士の理念に背く方針を強いれば、代議士が反対できる。党から追放されても、地元の基盤はまだあるので、再選できるし、党の方針を変えようとできる。もちろん、実例は少ないが、城内実氏はその一人だ。この可能性があるのは重大だと思う。これはないと、党執行部の権力が強過ぎる。代議士は党執行部に逆らうことはできなくなったら、総裁などの権力が独裁者のようになる。民主主義で、論争があるのは常時のことであるべきだ。

完璧な選挙制度は存在しないと思うが、橋下市長の提案は、日本の制度の改悪だと思わざるを得ない。