昨日書いた投稿を考え直したら、ちょっと反省する点がある。それは、北川景子さんを可愛い子供かのように扱う点だ。ちょっと失礼な態度なのではないかと思った。
そうなった現実の理由として、二つを事実を挙げる。一つは、番組からの印象だった。印象的だったのは、北川さんの無邪気さだった。それはもちろん子供のようだが、いい意味だ。大人の殆どが失う子供の魅力点だから、この要素保った大人がいれば、子供の頃の肌は保っていないと言っても、褒め言葉になると私は思っている。それでも、子供に似ている要素だから、褒めてもちょっと子供扱いになってしまう。もちろん、明治大学のような高級大学を働きながら卒業できる方は、人並みではないし、尊敬する側面も多い。(そして、私は塚地さんと同じく北川さんより14歳年上だから、若く見える。でも、子供ではない。)
もう一つはより根本的な理由だろう。それはファンの妄想だ。ファンになったら、憧れる方のことを知っている妄想に巻き込まれることは多い。特に、北川さんのようにかなり詳しく、自分の考え方を披露するブログを持っている方であれば、そしてファンであることが九年続けば、分かると思ってくる。
もちろん、妄想だ。顔合わせは一回もしたことはないので、仮に北川さんがブログで自分の全てを明かそうとしているとしても、本人が気づかないことは不明のままだし、本当の人生や性格のなかのバランスも見いだせないし、それにブログに書き込む情報は大変限られているので、分かるとは言えない。もちろん、北川さんが全てをブログに載せるわけはないし、後日に披露した内容から、隠したことがあることも明らかだから、重要な点は分からない。北川さんの性格を描写することはとてもできない。
でも、それだけではない。人間を知ることは、一方的なことではない。相互の理解や認識で関係を築き、お互いに相手の事実を反映しながら取り組むのは、人間を知っていることだ。北川さんの場合、そういうことはもちろんない。
この現実は明らかなので、妄想の原点は何だろう。私の仮説は次の通りだ。歴史的に、人に着いて沢山の情報を集める方法は一つしかなかった。それは、本当に相手にして、日常生活で一緒に活動することだった。だから、人間の心理で、ある方についての情報は多ければ、本格的に知っていると思い込むだろう。しかし、インターネットはもちろん、テレビや雑誌のお蔭でも沢山の有名人の情報を知るようになったので、有名人を本当に知っているかのように考えてきた。
そして、ある人を本当に知っていれば、自分の意見を自由に述べられるし、相手に分かってもらうことは多い。有名人の場合はもちろん違う。しかし、妄想のせいで気づかないので、26歳になった女性を「可愛い」とどうどうと言ってしまう。本人がこのブログを読むわけはないので、謝罪するほどではない(万が一読んでくだされば謝罪を申し上げる)が、やはりインターネットの変な書き込みの原因になる現象なのではないかと思う。
ところで、北川さんが今日新しい投稿をアップして、Citizen xCの時計のイメージキャラクターになったそうだ。先日、壊れた腕時計の後継者として新しい時計を買ったが、Citizenの腕時計だった。xCではないが、偶然だよね。いい時計なのようだから、私も毎日付けている。共通点だねっ。
あっ、また妄想。