昨日、イタリアで科学者6人に有罪判決は言い渡された。禁錮6年のことだ。罪は、数年前のイタリアで、行政の顧問の委員会の科学者が発表で「今、特に大地震を予想する根拠はない」との結論を抱いたことだ。六日後、地震で数百人が亡くなった。
この判決は許し難い。先ず、せい先として愚かな判断だ。イタリアの顧問になった科学者がもう辞任した。行政の相談に応じたら、起訴され、禁固数年の罰に当たる可能性は高いので、応じないのは当然だ。もちろん、それが国益を損なう。科学者のアドバイスはないと、間違った政策を取ることがさらに多くなる。
そして、主な理由は正義に大きく違反することだ。裁判官を更迭して起訴するほどだ。検察側は、疑わしいだろうが、検察側の責務は起訴された人を追究することだから、許すしかないだろう。しかし、裁判官には言い訳はない。発表を纏めた時点で、情報や科学的な知識の上で妥当な判断だった。妥当な判断を発表するのが罪になったら、もう社会はだめだ。それに、科学者の結論で「地震の可能性はまだあるが、この現象があるからといって特に高い確率になったとは言えない」のような内容があったそうだ。地震が起きたが、それは科学者が言った通りだ。科学者が基本的に責務を果たした。罰するべきではない。
罰するべきなのは、アクイラという町で耐震性のない建物を建てた建設業者などだ。この判決は、悲劇があれば、犠牲者をさらに創らなければならない人間の狂った精神から発生したに違いない。悲劇な誰かのせいにしないと、人は落ち着けないようだ。しかし、事実は違う場合は少なくない。それに、犠牲にしようとする人は間違っている場合も少なくない。東日本大震災の場合でも、東電を迫るが、例えば津波に晒された土地に住宅を建てた建設業者に対する一切批判はないようだ。少なくとも、私は聞いたことはない。東電にはこのような津波に配慮する義務があれば、建設業者にも当然ある。一つの獲物が足りるようだから、イタリアで科学者、日本で東電が焦点となった。これも、正義にあわないと思う。
しかし、日本の場合、東電には責任があったのは事実だ。東電だけではなかったが、迫られた組織は無罪ではない。イタリアは違う。無罪な人が犠牲になったので、許せない。