登場存在と物語

昨日TRPGの基本についての紹介したが、今日TRPGへのアプローチを紹介する。

想像力を駆使して物語を繰り広げれば、二つの立場は可能だ。一つは、登場する存在の一つと想像的に合体して、その存在が架空の世界の中で自分に好ましい結末へ辿る話を創る立場だ。もう一つは、登場する存在の一つを中心として、外から見る人にとって一番面白い物語を創る立場だ。

前者であれば、登場存在には悪いことはないといいが、そうすれば退屈になるので問題を乗り越えたり、成長したり、努力してから成功したりする物語はいい。最後に失敗に終わることは好ましくないし、登場存在は悪役であることも好ましくない。自分がその世界に生きていたら何をするかを考えるのは一つの方法だが、自分と違う目的や好みがある存在を演じるのも楽しい。例えば、私の音楽の才能は限られているので、音楽家のキャリアはできないし、目指しもしないが、ゲームで音楽の才能は優秀である存在を演じて、音楽の成果を目指す物語は楽しいだろう。希望などが違う存在も楽しいだろう。例えば、私は結局一つの場所に住み着いて、周りの人と絆を結ぶのは好きだが、ゲームでいつも移動する存在を演じるのは楽しい。本当にやりたくないことだが、想像すれば楽しい。男性として、女性であればどうするか、人間として、架空な怪物であればどうするか、などを考えるのもいい。

この立場で、根本的に演じる存在の立場から見る成功を目指して遊ぶ。演じるだけではなく、共感もする。

根本的な立場の後者であれば、物語を重視する。自分が演じる存在の希望が全く叶わなくてもいい。自分の演じる存在は悪役でもいい。悪役なら、失敗を企てるだろうが、演じる存在は自分の計画が成功に終わると望む筈だ。共感はない。これは、基本的に小説の作者の立場だ。実は、前者の立場から小説を書こうとしたら、退屈な小説になることは多い。極端に言えば、面白い小説には悲劇は必要だ。より厳密に言えば、登場人物に優しくすれば、物語が退屈になる。最後に成功に至ってもいいが、途中で自分の大切な何かを失うことは多い。

この二つの立場は両方相応しいと思うが、前者はTRPGにしか展開できない立場だ。小説にはできない。私は、小説を書くこともできるので、TRPGで前者の立場を取る。TRPGの歴史を見たら、これは伝統的な立場だが、最近のTRPGが後者に傾けると言える。(TRPGの歴史は40年程度だから、「伝統的」は相対的な言い方だが。)つまり、私はこの点で伝統的なTRPGを擁立する人だ。

この二つの立場のどちらかを選ぶことによって、適切なルールが変わる。しかし、世界の詳細は何でもいい。共感できる存在は一切なければ、前者は無理だが、そのような世界はないと言ってもいいほどだ。つまり、前者の立場を可能にするために、ルールの作成に気をつけなければならない。


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