昨日、『英語のロジック』について書いたら、言葉選びに比較的に少ない時間を費やすことを述べた。しかし、その点に沢山の時間を費やす作者もいるそうだ。ある文の言葉をぴったりにするために、数時間、一日を惜しまない作者もいるそうだ。もちろん、私はそうしない。ちょっと考えたら、理由がある。
それは、言葉の解釈が人によって違うからだ。概ねは共通されるのは言うもでもないが、それでも言葉を誤解する人もいる。完全に誤解する人は、作者として何もできない。どういうふうに誤解するかは分からないし、そして例えば「尊敬」を「軽蔑」の意味で捉えたら、意味が伝わらないのは当然だ。使っている言語が分かる人に配慮する。
それでも、言葉の解釈はまだ違う。言葉のニュアンス、単語が連想する逸話、単語の音色の良さなどは、人によって違う。だから、ニュアンスがぴったりである言葉を探して数時間使っても、読者にはちょっと違うニュアンスがあって、自分の言いたかったこととわずかにずれるはずだ。一方、言葉選びには数分しか使わなくても、同じように自分の言いたいこととわずかにずれる結果だ。つまり、時間の無駄だ。それに、作者の使命の一つは、言葉を沢山使って、読者の言語力を後押しすることだ。その場合、読者が文脈から単語の意味を推測するので、作者を考えた意味と全く同じ意味にはならない。それだけではなく、作者が単語の意味を発展させる使命もあるが、発展された意味はもちろん推測してもらうしかない。
要するに、言葉自体に時間を費やしたら、すぐに時間の無駄遣いになってしまう。言いたいことをはっきりさせて、言葉をちょっと間違えても意味がちゃんと伝わるような構造に尽力したほうがいいと思う。これは、『英語のロジック』で強調する点だが、母国語の場合も同じだ。私がいつもこのことに成功するとは言えないが、言葉に問題があっても分かってもらうように書くのは、いつもの目標だ。