自由と人生計画

最近、人権に付いての論文を読んだり、J.S.Millの自由論を解釈したりした。その結果、より深く社会のあるべき構成と自由について考えた。結論から言えば、自由を保障するだけで社会の構成がほぼ決まると思う。もちろん、個人の人生の形は全く決まっていない。それは自由の意味だ。しかし、その個人の自由を保障するために、社会の可能な構成は限られている。

まず、より具体的に保証とする自由を説明しよう。目指すのは、すべての人間に自分の人生を計画して、そしてその計画を実現する自由を与えることだ。制限として、他の人の自由を侵さない限りだ。つまり、人には自分の人生を悪化する自由も与える。社会に貢献しない自由も与える。他の人の自由を侵さない限り、社会に悪影響を与えても許す。

これだけで、自己主義の絆のない社会が発生すると恐れるだろうし、貧乏や病弱の人を捨てるかと思われるだろうが、よく考えたら、そうではない。数日の投稿に分けるつもりだが、その事実を証明するつもりだ。

まずは、人生の計画を自由にするために、「典型的」な自由が必要であることを示す。これは難しくない。宗教の自由、職業の自由、居住の自由などは、明らかに人生の計画の自由の一部である。商業を自由に選べなければ、人生の計画の自由はないし、居住も宗教も同じだ。言論の自由も、自分の計画を表明するには必要だし、他の人には計画を薦めるのは、計画の一部である可能性は高い。差別も禁じられる。女性であるから神父になれないという制限は、人生の計画の自由を侵す。

このすべてには、詳細が複雑になる。居住の自由を訴えても、私が明日から皇居に住むことはできないし、できる権利を与える訳はない。職業も同じだ。トヨタの会長の職業を憧れても、欲しいからと言って就くわけにはいかない。しかし、この制限は結局他の人の自由から発生すると思う。このような自由を保障したら、社会が変わるのは確かだが、現在の社会と類似点はない社会にはならない。これからの投稿で説明する。


投稿日

カテゴリー:

投稿者:

タグ: