自由と刑法

刑法に関わる事件の基本は、無罪であれば罰を受けないことだろう。いかに社会に貢献すれば、無罪な人を拘束して刑罰を科すわけにはいかない。犯罪を企てる人を戒めるために、無罪な人を刑務所に入れたほうがいい場合もあるだろうが、そうしてはいけない。人生の計画の自由を考えれば、このケースは難しくない。刑務所に入れられたら、人生の計画が白紙になる。だから、自由を侵す。

では、刑法を撤廃するべきだろう。そうではない。刑法はないと、悪意のある人に周りの人の自由が侵されるに違いない。社会の構成は、現実の世界を考えながら築くべきだ。理想ばかり考えたら、実現できない。

そう考えたら、もう一つの現実に築く。人生のほしいままできるかといえば、そうではない。私は、月に住みたくても、そうできない。現実を見て、計画を考えるべきだ。しかし、そうするために、現実を理解しなければならない。理解出来ない要素もあるのは現実だが、社会がわざとそのような問題を作ってはならない。つまり、刑法がそのような問題にならないように気をつけるべきである。

具体的に、それは何だろう。まずは、刑法の内容を明らかにして、広告しなければならない。計画をたてるとき、ある行為は違法で、刑罰に遭うことがわかったら、別な行為を選ぶことはできる。これには、ちょっと刑法に影響を与えることがある。刑法は、ほとんどの人が暗記出来ることにしなければならないし、曖昧の場合、違法とするべきではない。刑法の改善が必要となるが、この原則はだれでも賛成すると思う。少なくとも、法律の哲学の基本の一つだ。そして、新しい法律で過去の行為を違法とするのは明らかな違反だ。将来の法律に配慮できないからだ。まぁ、完璧な予知夢を見ないかぎり。

でも、同じことから、無罪な人に罰を与えるべきではないことが分かる。人生の計画を立てるために、違法な行為を避けるとしよう。それでも刑務所に入れられたら、自由は大きく侵された。実は、逮捕状が出されてからの拘束も問題になる。原則として、他の人の危険を恐れない場合、拘束できないほうがいい。警察の調査を難しくするのは確かだが、警察は住民のために働く存在だ。曖昧の場合、警察官を付き添えさせてもいいだろう。実現するために、拘束するの基準を決めて、そして判断を裁判官に任せるしかないが、原則は有罪判決の前に拘束しないし、生活に邪魔をしないことにするべきだ。有罪判決の前の拷問も、同じ原理で禁じられる。有罪判決の後の拷問は、別な原理に基づく禁じるが、それは後日の話になる。