後書きによると、この本も神道の入門書だそうだ。しかし、他の入門書とかなり違う。神話は入っていないし、参拝の作法も入っていない。一方、宮中の祭祀と伊勢の神宮の祭祀が詳しく紹介されているし、神社本庁の大祭、中祭、小祭の区別が詳しく説明されている。氏子と崇敬者の資格や役割の説明も詳しい。
この本は、神職の養成講座のために作成された。神職の資格を取ろうとする人は、参拝の作法が分かるのは決まっている。本に教えてもらう必要はない。そして、神職になったら、氏子や崇敬者の扱いは重要だ。それに、皇室中心の神社本庁の神道の観念も主張しなければならないと作者が考えたようだ。なお、私が知っているかぎり、内容には間違った点は一切ない。入門書で、神社本庁の教学員で國學院大學の教授の作者だから、それは当たり前だ。(一つのルビのミスに気づいたと思うが。)とはいえ、国家の祭祀としての神道が重視されているし、唯一の正当な神道として提供されている。
確かに、神道の祭祀は多種多様であることは否まれていないし、特殊神事は紹介されている。それに、複数の重要な神社も紹介されている。しかし、国家と皇室を中枢に据えているし、祭祀の公共性も主張されている。神社を紹介すれば、旧官幣大社などの国家神道の時代の資格を必ず紹介しているし、神社は個人の宗教ではなく国家や共同体の祭祀の場であるとも強調する。
この点で違和感がある。まずは、戦前の神道の軍国主義との関係を連想させるからだ。しかし、それは歴史の問題で、現在の神道の状況ではない。より深い問題は、皇室中心を唱える人は、伝統を重視するべきだとも強調する。むしろ、伝統を重視して尊重するからこそ、皇室を中心にすると主張する。しかし、重視する要素のほとんどは、比較的に新しくて、意図的に作成されたことだ。簡単な例は全国の大きな神社で見える神楽の浦安の舞だ。雅楽で長い伝統を持つとよく思われるようだが、実は1940年に新しく作られた。舞の前に生まれた神職はまだ現役だ。そして、「日本の伝統」というのは、江戸時代以前を中心とするべきだろう。明治時代になるべく日本の伝統を塗りつぶそうとする傾向があったからだ。それに、神社本庁の規則で、神社の伝統や特殊神事として認めてもらうために、原則として明治維新の前に行われた必要がある。しかし、明治神宮、靖国神社、橿原神宮、湊川神社などの神社本庁に大変重視されている神社の全ては、明治以降建立された。明治神宮の場合、それはいうまでもないだろう。明治天皇の時代の前に存在したわけはないし。しかし、神武天皇を祀る橿原神宮も、明治23年の建立だそうだ。明治時代にこの神社を鎮座する必要があった事実から、江戸時代以前で神武天皇の重要度が窺われるだろう。神社の日常的な活動も同じだ。神社本庁の定める祭祀も、戦後の作りだ。
神道の歴史を勉強すれば、著しい変貌が目立つ。だから、私に「本当の伝統」を訴えるつもりはない。むしろ、変化を歓迎して、現在の新しい祭祀を受け入れて、神職の恣意な発想から生まれる祭祀を促進するべきだと思う。そう考えれば、浦安の舞や明治神宮を認めない理由はないことにとどまらず、新しいからこそ歓迎する。新しい伝統だったが、何の伝統でも、昔は新しく導入された。
結局、この本を入門書として薦められない。現在の神職の教育や神社本庁の制度を把握するために役に立つが、それでも『プレステップ神道学』のほうが勉強になるだろうし、神道に馴染みがあると前提にしない。私の研究に貢献したが、この本が神職の要請に使われることは、方針から考えれば、残念に思わざるを得ない。