自由と戸籍

イギリスで同性婚を認めることになった。(もう認められているように報道されたが、法律はまだ執行されていないようだ。)

私は賛成する。自由を重んじれば、賛成するしかない。しかし、ただ同性婚を認めるだけで問題を解決するわけはない。

結婚というのは、何だろう。二人の間、一番近い家族の関係を作成して、戸籍を同一することだ。家族の基盤を敷くことだ。多くの場合、これは男性と女性で、そして二人の間で子供を産んで家族を築く。それは伝統的の結婚のイメージだろう。しかし、家族はそれだけではない。家族を重んじてもよいが、形を自由にするべきだ。従って、何の二人でも、法律上の結婚を認めるべきだ。同性でも、血縁が近くても、会ったことはなくても、認めるべきだ。性的な関係を前提とするべきではないので、血縁関係を持つ二人が結婚すれば、それはただ家族のなかの関係を改善することにすぎないだろう。たとえば、祖父が孫を自分の当然な後見者や後継者にする方法として使ってもいい。

結婚と言うのは、二人の間に特別な相互権利を設けるので、法律の役割を考えたら、二人とも成人で、三人以上は認められない。子供には権利を担う能力はないし、三人以上が関われば関係に矛盾が生じるからだ。

しかし、三人以上の恋愛関係の上で家族を築く人もいる。それを認めなければならない。結婚は形としてできないので、別な形を認めてもよい。兄弟の関係は近いが、子供との関係に優先する関係は相応しい。この関係を持つ人はお互いに平等な立場にあるが、その相互関係が他の家族関係に優先する。(相続の場合など。)つまり、兄弟より近い。

そして、親子関係は、法律上後継の流れを決める措置にすぎない。特に、子供も成人になったら、養う義務がなくなるか逆転するかが、後継関係が残る。だから、これを自由に設けさせるべきだ。自分より年上の人を後継者として指定することは可能にするべきだ。

このようなことを認めたら、確かに今と著しく違う家族が現れるが、普通の家族は今のままだと思う。現行の制度は、過半数の人が望む形に沿って作成されたので、制度を緩和しても、過半数の希望が変わらない。子供を産んだら、親の子として当然認めてもよい。要するに、出生届だけで親の子供として認める。その関係を変えたかったら、手続きを義務にしても自由の制限ではない。法律上の効果がある事実は、法律上定めなければならない。しかし、届け出の制度で、許可を求める制度ではない。

離縁も自由にするべきだ。一人が縁から離脱したかったら、届け出でできるようにするべきだ。手続きには一ヶ月程度の時間を要してもよいが、認めなければならない。ただし、縁が切れても、責任が残ることもある。自分の行動の費用や損害を他人に課しては行けないが、それは絶縁の場合も変わらない。

つまり、法律上の家族関係を分析して、必要な関係を抽象的に定める。そして、人が自由にそのような関係を結んだり解けたりできるようにする。自由に家族を構築するために、国家の認可は必要だが、国家の関与は認めるべきではない。


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