特権撤廃

自由を保持するために、特権を撤廃するのは重要な原則だと思う。「特権」というのは、特定された人物にしか認められない行動を意味する。

具体例を挙げよう。イズラエルで、ユダヤ教の一つの宗派の教徒は、徴兵は免除される。このような特権を撤廃するべきだ。しかし、その方法は、誰にも徴兵を課すことではない。むしろ、徴兵そのものを撤廃したほうがよい。なぜかというと、これから説明する。

特権を認める理由は、ある義務や制度が宗教の自由に触れるからだということは多い。宗教の場合を典型例として考えよう。このような問題があれば、制度や義務を見つめるべきだ。人の重要な自由を束縛するのは明らかだ。だから、質問は、この自由を束縛するべきであるかどうか。束縛するべきであれば、いかに宗教を理由として訴えても、認めるべきではない。一方、この宗教の教徒に許してもよかったら、一般に自由にするべきだ。

この方針をとらないと、「本当の宗教」の定義が重要な法律の問題になる。「本当の宗教」であれば、自由にするべきだが、「偽物の宗教」であれば、自由にしないからだ。しかし、国家が「本当の宗教」を定めること自体、宗教の自由への大きな制限だ。宗教は、人が「宗教」と自称しても認めるべきだ。将来の尊い教祖である可能性もある。しかし、そうすれば「宗教」に限る特権には意味はない。何かしたかったら、その行動を教則の一つにする宗教を立ち上げても十分だ。だから、束縛自体を考えるべきだ。許せれば、一般に許す。許す訳に行かなければ、信者にも許さない。

これは宗教だけではない。「家族」、「人種」、「共同体」なども同様だ。厳密にいえば、「職業」もうそうだ。警察官には一般人の権利を勝る権利を与えないほうがよい。一見で無理のように見えるので、本当に無理であれば自由を一般に保つために制限が必要かもしれない。しかし、検討すれば、問題がなくなる可能性がある。警察官には組織や訓練があるので、権利を使うのは警察官になるが、一般人にもあっても問題にならない可能性はある。弁士は職業より、国民から委託された資格だから、委託を受けていない人がこのようなことはできないのは問題ではない。(必要であれば、警察官は同じような理屈で特権を認められるが、最低限にするべきだ。)

特権を認めれば、自由をむやみに束縛することがある。著しく問題になる場合、特権で穏和にするので、一般の人からこの自由をさりげなく奪う。しかし、このような抜け道を認めなければ、自由を本当の意味で重んじるしかない。