平成105年

最近、伊勢の神宮の式年遷宮についての記事を読んだが、将来の遷宮について触れたら、80年後の「平成105年の式年遷宮」について語った。

言い方は面白い。神宮式年遷宮が80年も続くのは当たり前だろう。もう1300年の歴史を持っている。油断できる訳はないが、予想として80年後の遷宮が斎行されると予想してもかまわない。しかし、あの年が平成105年であるのはあり得ない。だから、なぜこの言い方をするのだろう。

明治時代の前には理屈が会った。年号が変わるかどうかは事前に定められていなかったので、もしかして100年以上一つの年号が続く可能性はあった。実例はないが、可能性は否定できなかった。そして、年号なしに年を指す方法はなかったので、当然な手段だっただろう。

現状は違う。年号が御代と一緒に変わるのはもう法律で定まったので、平成が50年に至る可能性を認めても、100に及ぶことはない。平成105年は存在しない。そして、指したかったら、簡単にできる。2093年だ。

2093年というのは、西暦だから、和暦を使いたい場合、避けたい人は少なくないと思う。特に、神社関係の人は、なるべく西暦を避ける。伊勢の神宮の崇敬会からの振込用紙には年月日はもちろん西暦だが、お詫びが付く。和暦に改めようとしているそうだ。そして、議員会館に入るときに、年月日を和暦で書かなければならない。(一回うっかり西暦で書いたが、受付で直してもらった。)将来について語るときも、和暦を使ってもいい。平成30年は、本当に平成30年になる可能性はある。しかし、遠い将来について語れば、西暦を避けるために嘘をつける。これは恒例の手段だと思うが、だからこそ面白い。

いつでも使える和暦が欲しかったら、大宝にしたらよい。大宝は、日本の最初の独自の年号であった可能性は高いそうだ。(7世紀の年号は、7世紀の木簡などに現れないそうだから、8世紀に作成された可能性は高いという。)意味もよい。そして、西暦との換算は簡単だ。西暦から700を引くだけだ。今年は、大宝1313年だ。確かに、改元はもう昔のことだから、これも間違いだが、平成105年も間違いだ。どちらの間違いを認めるかという問題だ。