東京電力の制度改革

先日、ニュースで東京電力がどう福島第一原子力発電所事故の教訓を活かすかについての報道があった。一回目の対応は、ただただ会社の責任をなるべく軽減するような内容だったそうだが、今回のほうが良さそうだった。

つまり、制度を刷新して、事故の可能性を減らそうとするそうだ。例えば、原子力発電所で責任と上司の系列をはっきりさせて、部下を七人以下に制限する方針を導入するそうだ。これは有効だと思う。危機の場合、はっきりした責任があれば、それに専念して解決できる可能性がある。一方、動く前に何をするべきかを確認しなければならなかったら、事故が待っている間に起きる。そして、混乱のなかで多くの人を指導するのは無理だが、少人数であれば、全く予想できない状態の詳細に対応できる。

もう一つは、経営を責任する司令塔と別に、安全を責任する権力がある機関を設けるそうだ。それでも、疑問を抱く。安全は、長期的に見れば経営より重要であるのは否めない。福島第一原子力発電所事故の再発は許してはいけない。しかし、中期的な観点から、経営難を避ける必要がある。四半期ごとに経営の問題が発生すれば、安全措置は無理だろうと言われる可能性は高い。株式会社で、法律の義務づけはないかぎり、安全のために赤字に転落させることはできない。アメリカで違法だそうだし、日本の法律はどうか分からないが、少なくとも株価の下落を招くので、会社の最終的な権利を握る株主の反発も招く。(株主は、富裕層の投資家だけではなく、一般人の年金基金も含まれるし。)そうはいっても、会社の中で安全性を強調する組織を置くのはいい方針で、いい方向へ導くだろう。

これは簡単な問題ではない。先日のニュースによると、原発の停止でエネルギーの確保の為に石炭の火力発電所の環境審査の緩和を要請した政府機関があるそうだ。石炭の火力発電所は、気候変動を加速させるので、原子力より危ないと私は思う。一方、電気料金を急増させるのは、社会問題になるのは明らかだ。

このような難しい問題の中で、東電が一歩前に進んでいるようだから、一応評価する。全面的な解決策は、東電だけで構えられることではない。

神の子

七歳までは神の子と言われたそうだ。

昨日、真由喜の朝ご飯は塩おにぎりだったそうだ。お昼も、塩おにぎり。ゆり子が真由喜に「なぜ他の食べ物を食べてくれないの?」と聞いたそうだが、真由喜が次のように答えた。

真由喜は元々神の子で、神棚の宮型に住んでいた。お腹が空いたら、真由喜が神様のお母さんに「お母さん、お腹が空いた」と訴えた。そのとき、神様のお母さんが供物からお米と塩を取って、塩おにぎりを作ってくれたそうだ。そして、供物のお水を飲ませた。だから、塩おにぎりとお水は好きだそうだ。その上、宮型の一軒家に住んでいたので、また住みたいって。神様のお母さんが庭を奇麗にしたことも覚えているという。しかし、私たちの子になることになって、産婦人科に行ったそうだ。

ゆり子がこのことを披露したら、真由喜がコメントを加えたが、ゆり子が

「日本の神様には母神がいるだろう。天照大神はちょっと違う。」

「いるよ。確かに天照大神が違うが、神産霊神や伊弉冉の神がいる。」そういえば、真由喜がコメントした。

「伊弉冉の神だった。」

「そうか。そうなら、天照大神はお姉さんだよ。」

「うん。お姉さんが学校に行ったら、「お姉さん、勉強は楽しそうだね」と言ったよ。」

なるほど。真由喜は天照大神の妹か。

道徳教育

『神社新報』で安倍内閣の教育再生についての記事が載ったが、道徳教育に重点を置いた。NHKと観点が異なるよね。道徳教育が導入されるそうだ。これで、私は慎重だ。

まず、歴史を見れば、「道徳」の大義名分で国民を統一する独裁的な政権は少なくないので、この教科について心配するのは当然だ。それに、日本で悪用されたことはあるし、今も生きている人にはその時期は覚えられる。だから、提案の詳細を見極めるべきだと思う。

方針には問題はなくても、まだまだ心配する。なぜなら、道徳は五者択一の試験で測定できることではないからだ。教科書に載せることもできない。情報ではなく、スキルだと思う。世界についての考え方や人との接し方だ。「周りの人に配慮する」とか「思いやり」とか「正直」などの言葉は付けられるが、そのままで道徳の意味を伝えない。本当に理解してもらうために、練習は必要だ。しかし、その練習は授業ではなく、一般生活でするべきだ。

その側面から考えれば、日本の道徳はまだまだいいと思う。東日本大震災の後の秩序は一つの表しだが、日常的にもある。先日ゆり子がPASMOを落としたが、後で拾ってもらった。最近の残酷な犯罪を嘆く声は聞こえるが、昭和初頭や明治時代、江戸時代にはないとは思えない。歴史を勉強したら、あったことに気づくので、最近少なくなったのではないかと思う。

だから、道徳の授業は必要かどうかは疑わしい。必要とすれば、伝記を読ませる方法はいいだろう。優れた人がどうやって生きたかを見たら、自分の生き方について考えるようになる。「優れた人」の定義について意見が分かれると思う。私は、軍人を原則として入れない。戦争をなるべく避けるべきだから、軍人を憧れの的として挙げないほうがいい。必要になれば、別な優秀な人を模範とした人も、適切に対応できる。少なくとも、教育勅語などを読ませるなどは、道徳教育にならないと確信する。

道徳の教育は、検討する方法や批判的な考え方と同じように、教育の一部ではなく、教育全般の基盤だと思う。だから、「道徳教科」を設けるのは、ちょっと的外れだと思わざるを得ない。

桜と祓え

桜の下で神職が車を祓う今朝、出勤する前に日枝神社に参拝したが、咲いている桜の下で車を祓う神職を見たので、写真を撮った。

私が仕事をしていた間に、ゆり子が友達と一緒にお花見したそうだ。そして、昨日、お友達が家に遊びにきて、イースターエッグ探しをしたという。だから、真由喜が楽しんだと思う。

でも、私は仕事で忙しいし、まだ疲れたので、今日の投稿は最低限にとどまる。