友人との再会

先日、日本語学校の時代の友人と会えた。8年ぶりだったので、食事しながら長くしゃべった。ヤマサという日本語学校では、沢山の国からの学生が勉強するので、私の友人はベトナム人だ。私と同世代だから、ベトナム戦争の直後に育った。幼い頃は大変だったそうだし、日本に来るために長年頑張って、貯金を貯めて、日本語を熱心に勉強しなければならなかった。当時も、真面目に勉強したが、いつもちょっと辛かった印象だった。このぐらいの困難や苦労を乗り越える人を尊敬するしかない。

しかし、苦しむのは得ではないので、今回会ったら、もう少し楽な雰囲気があってよかった。ヤマサでの勉強を終えて、帰国して日本語教師になったそうだ。それは日本に留学する目的だったので、達成してよかった。そして、現在ベトナムの教育の大学で日本語を教えているという。仕事は忙しいと言ったが、学生はいい人で、職場の人間関係も良好だそうだから、落ち着いたと言えよう。

私は、それほどの艱難や苦悩と挑戦する必要はなかった。もちろん、人生は人生だからずっと楽で楽しいわけはないが、問題は大きくない。だからこそ、尊敬する。しかし、友人だから苦しむことはよくないと感じるのは当然だろう。理想的な世界では、苦しむ人はいないと思う。確かに苦悩を乗り越えたので尊敬する人はいなくなるが、努力して大きな成績を残す人はまだ尊敬できる。そして、妨害の環境と挑戦する必要がなくなったら、人がよりいい成績を残すだろう。力や時間が今より余るからだ。抽象的に考えれば、英雄のように挑戦するのはいいかもしれないが、具体的な人間について考えれば、苦しまずに素敵な成果を納めたほうがよいと私は思う。


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