日本で、私が目立つ。白人だし、背が高い。背景に溶け込まない。
当たり前のことだし、問題になったことはないと言えよう。差別の対象になった意識はまずない。
しかし、意識する。私が周りの人に目立つこと。特に、神社で人とすれ違ったら、その人が外国人が神社にお参りしていることに意識するだろうとつい思う。それに、人の目線を意識することもある。通勤の電車の中で意識しないが、人が少なくなれば、意識してしまう場合もある。
これは、マイノリティーの体験だ。典型的な人間ではないので、「普通な」と思われないだろうとの意識が度々湧いてくる。イギリスに住んでいたころ、この意識はもちろんなかった。イギリスで、白人の男性は典型的な人間だから、周りの人が全く気にしない。
もちろん、白人だから目立つわけはないこともある。ゆり子はママ友などによく「デイビッドを見たよ」と言われるが、それは白人だからではなく、知り合いであるからだ。本当に私を見た自信がある根拠は、私が目立つことであろうが、意識した理由は別だ。そして、周りの人がどれほど意識するかは、分からない。「外国人だ」の程度でとどまることは多いと思う。気づかない人もいるだろうが、それは少ないかな。
私は、日本の社会から排他的な雰囲気を感じないので、この意識は問題にならない。しかし、嫌な思いを持たせられる人は、この通常の意識でより悩むようになるだろう。少なくとも、マイノリティーにならない限り体験できないことだから、日本に来てから、差別はなくても、マイノリティーの経験が普通の人の経験と違うことを実感した。