磐座創祀

真由喜が神木の根元で磐座を建立する
真由喜が神木の根元で磐座を建立する
昨日の博物館鑑賞の後で、真由喜とちょっと上野公園で遊んだ。かくれんぼ、鬼ごっこでちょっとの時間を過ごしてから。帰ろうとした。

しかし、途中で誰かが遊んだ石を見て、真由喜も石を持って、ちょっと遊んだ。もう少し進めば、真由喜が石のところへ走り戻って、また遊び始めた。真由喜によると、石はウサギに見えたそうだ。ペンなどを求めて、ウサギの目などを書こうとしたが、私が拒否した。公園の物にペンで書くのはだめだと。それから、真由喜が別な遊びにした。

石は、神様に見立てて、大きな木のもとに置いた。そして、その前にもう一つの石を供え物として置いてから、より小さい石で囲んだ。最後に、お参りした。これは、その場所の神様を祀るところだという。

神道の推測された原型そのものだった。自然に畏敬を感じ、大きな神木で石で斎場を作った。磐座という形だ。確かに、有名な遺跡の磐座の石はもう少し大きいが、真由喜より大きいので、真由喜がそうできるはずはない。そして、歴史的には小さい石で作られた磐座もあっただろう。ただ、千年以上が経つと、もう区別できなくなる。巨岩が目立つ。

私は、神道に興味を持つので、それは一つの影響だと思うが、もう一つはやはりジブリだろう。トトロ、千と千尋の神隠し、もののけ姫は、真由喜は大好きだから、あの映画からも神道の観念を吸収したと思う。ジブリ流神道だと言えるだろう。

とにかく、真由喜の行動は親の目で見ると、大変可愛かった。

国宝・大神社展

今日、家族で東京国立博物館へ行ってきた。目的は、『国宝・大神社展』を見ることだった。

興味の程度は、所要時間で計れる。真由喜は30分ぐらいで終わった。私は、3時間ぐらいを使って、全ての展示品を一つ一つじっくり見た。

この展覧会は、神道に興味を持っていれば、必見だ。書籍で写真を何回も見たことがある本物は多いし、初公開のものも多い。私にとって、初めて見た物も多かった。例えば、熊野速玉神社に1390年に奉納された神の衣は、本でも見たことはないと思うが、素晴らしかった。

展覧会の期間を前半と後半に分けているが、展示品の半分ぐらいが入れ替わる。だから、私は後半になったら、もう一回見に行くつもりだ。しかし、前半に出た特に見たかった物はあった。それは、石上神宮に納められた七支刀だ。4世紀に百済の王から大和の王へ贈られた剣で、不思議な形だ。神道の始まりの定義によって異なるが、現在の有力説によると、神道より古いものだ。(私の自説でもギリギリだ。)剣には金の文字もあるので、貴重な遺品だから、写真を何回も見たことがある。本物を見る機会はむしろ少ないので、見逃しては行けないと思った。展覧会で、剣を木製の型に嵌め込んだが、それは損傷はないような装置だと思う。

もう一つ特に見たかった展示品は、春日神鹿御正体だった。これは14世紀の銅像で、鹿の背中に榊と鏡がある。感動した。これは、展覧会の最後まで展示されるようだから、ぜひ見に行ってほしい。

この宝物の殆どは、神様に奉納された。そのため、本殿に納められ、公開されていなかった。だから、まだ神社の本殿には、同じように素晴らしい物が待っている可能性は十分ある。遷宮や造替があるとき、取り出すこともあるので、これからも公開されるだろう。それも、楽しみにする。

一つの展覧会で数多くの作品を見たら、神道美術の印象ができた。神様の用品や神社の風景を描くものは重要で、神像はそれほど重要ではなかったようだ。やはり、実物を見ることも、神道の理解に必要だ。

ところで、私が展覧会を見ていた間に、ゆり子と真由喜が科学博物館を訪れたが、それも楽しかったそうだ。いつか、また家族で行くつもり。

本来の国柄の表現

昨日の朝のNHKの番組で、模型を使いながら憲法改正の話題を説明した。いつもの通りうまく説明したと思うし、私の意見の通りだったので、評価する。憲法の学者を呼んで、内容を整えるはずだから、私の意見は正統とうか、標準であるようだ。具体的に言えば、憲法の役割は、政府や国会を縛ることだから、改正をし易くしてはいけないということだ。それに、憲法で国民の行動に制限を課してもいけない。憲法は、政府を縛るためだからだ。国民や住民を縛ろうとすれば、普通な法律が適切だ。

他方、自民党の憲法改正で、日本の本来の国柄を表現する目的も重要であるようだ。憲法の役割は政府を縛ることであれば、国柄を表現するわけにはいかない。国柄は政府の制限ではないからだ。しかし、国柄を表現するのは悪いことではない。国のあるべき姿を描くことは、国のアイデンティティーや国民の一体感に貸す。憲法で個人の自由は保障されるが、個人の自由だけで不十分だ。社会の絆も重要だ。とはいえ、社会の絆を大義名分にして個人の自由を奪うと弾圧的な政権だから、自由を保障する憲法を最優先するべきであるのは否めない。ならば、国柄を表現する方法は何だろう。

ここで、普通の法律は適切ではない。普通の法律で、駐車場の管理などが定まるので、特別な資格を持つ法律は必要だと思える。簡単に塗り替えられない法律はよい。そして、国柄の本来の重要な点を重視するために、長さを制限するべきだ。そうしないと、何でも入れようとする傾向は極めて強い。それに、拘束力を与えるべきではない。理想と模範として掲げるが、別な理想を求める権利を損なうべきではない。とはいえ、政権公約のような無意味な書籍にもなってはならない。

だから、具体的な提案は下記の通りだ。

まず、十七条に限る。(もちろん、聖徳太子の十七条憲法に因む。)そして、一条は、31文字以内にする。短歌ではなくてもいいけれども。この制限で、重要な点の神髄に絞る。詳細な説明に及ぶことはできないので、理想や模範に自然になる。

司法で、この法律が普通の法律の解釈の指針になる。憲法で、法律の有効性が決まる。他方、この特別な法律で、普通な法律を無効とすることはできない。それより、適応する方法や範囲は、この17条を見ながら、決める。最高裁判所まで、法律の解釈には17条が十分重んじられなかったことを訴訟できる制度になる。そして、立法する場合、国会で法案がこの17条と合うかどうかを検討するべきだ。

そして、改正のことだが、衆議院の総選挙の間に、一条しか替えられない制限を課す。まだ17条はない場合、一条を加えて、そしてもう一つを加えるか、替えるかの選択肢を与えてもよい。(一気に立法すれば、最初の政権の権力を過剰にする。)もちろん、「替える」というのは、一条を廃止することも含む。こうするために、国会で両院の過半数と国民投票の過半数で十分だろう。理想や模範は、憲法ほど替え難くする必要はないし、ゆっくりな改正はもう保障されているからだ。

では、どういうことになるだろう。思い浮かぶ例をちょっと列挙する。

「家族がお互いに助け合うべきである。」これが入ったら、家族を裏切る行動などは、特に深刻な犯罪になるので、法律で定まった刑罰の思いほうになる。そして、別な法律が家族の助け合いの邪魔になったら、なるべく邪魔にならないように解釈しなければならない。たとえば、家族内のお金の手渡しは、贈与に当たらない解釈が法律上必然となるだろう。

「日本の住民は自由に暮らす。」これは、憲法と冠るが、憲法はしてはいけないことで、これが立法するべき法律の解釈を自由の方向に傾ける。

「日本国は、天皇陛下を親として戴く家族である。」右翼の一条だろう。拘束力はないが、理想をはっきりにする。

「日本は、平和を維持して、他国に軍事力を及ばない。」左翼の一条だろう。

憲法は、法律的な定義で、してはいけないことを指摘する。17条は、理想な国柄を描く。両方には重要な役割があると思うが、違う役割だ。

祝・7周年

今日を持ちまして、ブログ開始から7周年を迎えました。祝いとして何をしたらいいのかな。

まず、写真集を刊行しないように誓おう。

このブログは、拙い日本語のせいか、読者は非常に少ないと思う。一日は平均的に50人にも満たない。だから、有名になるために書いていないのはよい。誰も読まなくても、執筆する意味が残る。しかし、このブログをご覧くださっている皆様には、感謝いっぱいだ。本当に誰も読んでくれなかったら、落ち込むだろう。一方、自己評価に過ぎないが、私の日本語が上達したような気がするので、元々の役割を果たした。(というのは、元々の目標の一つは、北川さんの最初のブログにコメントするためだった。この役割も果たしたよね。)

これからも、私の個人的で、個性的であろう意見を書かせていただきたい。最近、同じテーマで繰り返して投稿するようになったような気がするが、私の意見が時間とともに発展するので、変化も見えるだろう。読者の皆様がつまらなく感じなければ、幸いです。

では、今後とも、この私の拙いブログを、どうぞよろしくお願い致します。