礼儀作法の基本は、相手に敬意を表して、周りの人に配慮することだと思う。相手になるべき圧力を掛けずに、相手に選択肢を残して、相手の気持ちを損なわずに振る舞うことだ。そうするために、特別な振る舞いは必要ない、厳密に言えば。
ただし、特別な振る舞いはなかったら、どうこの態度を表せるかは不明になる場合は多い。例えば、初めて出会った人に対して、どうすればいいのか。その人の性格などは全く分からないし、期待なども分からないので、想像するのは極めて難しい。しかし、礼儀作法が初挨拶の形を定めたら、それを使うとよい。「初めまして。チャートです。よろしくお願いします。」相手も礼儀作法の基準が分かるので、この表現で敬意などを表そうとするのは明らかだ。根本的な難しい場合にも礼儀作法に助かる。相手の親が亡くなった場合などはそうだ。その上、特別な場面で、礼儀作法で適切な振る舞いが分かる。例えば、神社での作法は適切だから、ゼロから神様に対する適切な態度を考える必要はない。同じように、天皇陛下に会う場合、作法に従えば、困らないが、適切な作法をゼロから考えろと言われたら、大変困るだろう。
このような決まった振る舞いはなかったら、日常的な社会交際が難しくなる。しかし、重要なのは、動作ではなく、態度だ。
だから、自分の振る舞いの詳細にこだわるべきだ。日本なら、相手に対して適切な敬語を考えて使うべきだし、お礼の深さも考えなければならない。作法を真剣に考える行動は、態度の証の一つになるからだ。
他方、相手の礼儀作法の詳細にこだわれば、礼儀作法の精神を理解しない証拠だ。相手が詳細を間違えても、敬意を表現しようとすれば、それを受け止めるべきだ。作法を教える立場にいない限り、相手の礼儀のミスを指摘するのは、相手に軽蔑を表したり、相手から選択肢を奪ったり、相手に圧力をかけたりする行為だ。