研究成果の悪用

科学研究の成果が悪用されるのは言うまでもない。目立つ例として、原爆を挙げよう。抹殺に使われた成果以外、住民の監視を強化するために使われた技術や医学の進歩で性別が分かった女性の胎児を流産させる例も挙げられる。このような行為は許してはいけない。

ただし、対策として研究を止めるべきだと強調する人もいる。この概念と私は同意できない。理由は複数ある。

一つは、研究が終わる前に悪用できるかどうか分からない場合は多い。それより、悪用されるのは数年後になることも少なくない。研究者も最初に実用化した人も、悪用を想像もしなかった場合だ。悪用されそうな研究を禁じようとしたら、危険な研究が漏れるはずだ。

そして、悪用の可能性のある研究成果は多い。禁じようとする範囲が制限なしに拡大する恐れがある。

しかし、一番重要な理由は次の通りだ。悪用される研究成果には、善用もある。原爆の技術は、原発にも仕えるし、がんの治療にも使われる。監視を強化する技術は、行方不明者の救えにもなる。胎児の性別を区別する技術で、問題も判別して、適切な治療を可能とする。このような可能性を否定するのは、住民の自由に違反する。

だから、技術の悪用を防ぐ方法として、社会的な措置をとるべきだと思う。つまり、研究を禁止することを避けて、むしろ技術の使い方に法律などの規則を設けるべきだ。技術の存在を消すより難しく見えるだろうが、実は社会的な措置のほうが効果的だ。なぜなら、技術を禁じれば、同じ結果を別な方法で実現されたら、結果は禁じていないので、恐れられた結果が実現される。技術を密かに開発する必要もない。上述の通り、開発の前に悪用を想像しない場合は多いからだ。

法律や社会の慣習で悪用を防ぐため、行政も市民も周りの人に迷惑や損害を掛けないような制度は必要だ。これは、社会的な技術や工学とも言えよう。確かに簡単な課題ではないが、科学者が宇宙の秘密を明かすように、政治家がこのような課題を解決するのは宿命だろう。


投稿日

カテゴリー:

投稿者:

タグ: