本来の国柄の表現

昨日の朝のNHKの番組で、模型を使いながら憲法改正の話題を説明した。いつもの通りうまく説明したと思うし、私の意見の通りだったので、評価する。憲法の学者を呼んで、内容を整えるはずだから、私の意見は正統とうか、標準であるようだ。具体的に言えば、憲法の役割は、政府や国会を縛ることだから、改正をし易くしてはいけないということだ。それに、憲法で国民の行動に制限を課してもいけない。憲法は、政府を縛るためだからだ。国民や住民を縛ろうとすれば、普通な法律が適切だ。

他方、自民党の憲法改正で、日本の本来の国柄を表現する目的も重要であるようだ。憲法の役割は政府を縛ることであれば、国柄を表現するわけにはいかない。国柄は政府の制限ではないからだ。しかし、国柄を表現するのは悪いことではない。国のあるべき姿を描くことは、国のアイデンティティーや国民の一体感に貸す。憲法で個人の自由は保障されるが、個人の自由だけで不十分だ。社会の絆も重要だ。とはいえ、社会の絆を大義名分にして個人の自由を奪うと弾圧的な政権だから、自由を保障する憲法を最優先するべきであるのは否めない。ならば、国柄を表現する方法は何だろう。

ここで、普通の法律は適切ではない。普通の法律で、駐車場の管理などが定まるので、特別な資格を持つ法律は必要だと思える。簡単に塗り替えられない法律はよい。そして、国柄の本来の重要な点を重視するために、長さを制限するべきだ。そうしないと、何でも入れようとする傾向は極めて強い。それに、拘束力を与えるべきではない。理想と模範として掲げるが、別な理想を求める権利を損なうべきではない。とはいえ、政権公約のような無意味な書籍にもなってはならない。

だから、具体的な提案は下記の通りだ。

まず、十七条に限る。(もちろん、聖徳太子の十七条憲法に因む。)そして、一条は、31文字以内にする。短歌ではなくてもいいけれども。この制限で、重要な点の神髄に絞る。詳細な説明に及ぶことはできないので、理想や模範に自然になる。

司法で、この法律が普通の法律の解釈の指針になる。憲法で、法律の有効性が決まる。他方、この特別な法律で、普通な法律を無効とすることはできない。それより、適応する方法や範囲は、この17条を見ながら、決める。最高裁判所まで、法律の解釈には17条が十分重んじられなかったことを訴訟できる制度になる。そして、立法する場合、国会で法案がこの17条と合うかどうかを検討するべきだ。

そして、改正のことだが、衆議院の総選挙の間に、一条しか替えられない制限を課す。まだ17条はない場合、一条を加えて、そしてもう一つを加えるか、替えるかの選択肢を与えてもよい。(一気に立法すれば、最初の政権の権力を過剰にする。)もちろん、「替える」というのは、一条を廃止することも含む。こうするために、国会で両院の過半数と国民投票の過半数で十分だろう。理想や模範は、憲法ほど替え難くする必要はないし、ゆっくりな改正はもう保障されているからだ。

では、どういうことになるだろう。思い浮かぶ例をちょっと列挙する。

「家族がお互いに助け合うべきである。」これが入ったら、家族を裏切る行動などは、特に深刻な犯罪になるので、法律で定まった刑罰の思いほうになる。そして、別な法律が家族の助け合いの邪魔になったら、なるべく邪魔にならないように解釈しなければならない。たとえば、家族内のお金の手渡しは、贈与に当たらない解釈が法律上必然となるだろう。

「日本の住民は自由に暮らす。」これは、憲法と冠るが、憲法はしてはいけないことで、これが立法するべき法律の解釈を自由の方向に傾ける。

「日本国は、天皇陛下を親として戴く家族である。」右翼の一条だろう。拘束力はないが、理想をはっきりにする。

「日本は、平和を維持して、他国に軍事力を及ばない。」左翼の一条だろう。

憲法は、法律的な定義で、してはいけないことを指摘する。17条は、理想な国柄を描く。両方には重要な役割があると思うが、違う役割だ。