昨日、真由喜が飼っていたおたまじゃくしが死んだ。もう足が伸びたので、昨日川に持って放つつもりだったが、ギリギリ間に合わなかった。残念で悲しい話だった。
真由喜がもう幼稚園に出かけた時に死に気づいたので、帰宅してから説明することになった。真由喜が帰ったら、ゆり子が「話があるよ」と言った。真由喜は、空気を読んで「歯医者さんのこと?」と尋ねた。
「違う。しかし、いい話ではない。残念だが、おたまじゃくしが死んだ。」死体を見せた。
「死んでいないよ。」
「いえ、死んだ。」
そして、真由喜が和室に走って、テントに中に隠れた。一分まって、話を続けに行った。
「医者さんにもって行く。おたまじゃくしが分からないので、間違えて石を飲み込んだかもしれない。医者さんが写真を撮って、直す。」
「それはもうできない。体がこれほど壊れたら、今の時代で直せない。」
「お魚は死んだ振りするので、死んでいないと思うよ。」
「金魚は確かにそうするが、おたまじゃくしは本当に死んでいる。」
しばらくこういう風に話したら、真由喜が話をやめて、別なことをした。そして、私が会議に出かけた。
一時間半後、ゆり子によると「おたまじゃくしを埋めに行こうか」と誘ったら、真由喜が素直に「はい」と言って、水槽の中の死体を持って、庭に向かった。庭でスコップで穴を掘って、おたまじゃくしを埋めた。そして、私が帰ったら、私と一緒にお墓参りした。今朝、「おたまじゃくしが死んでしまったよね」と言った。
これは、真由喜の初の身近な死だから、もちろんまだちゃんと分からない。まだ「おたまじゃくしは墓の中で何をしているだろう」などの質問をしている。しかし、5歳でちゃんと分かるはずはない。これは、第一歩だ。その立場から見れば、真由喜がよくできたと思う。
ここでも、真由喜の良くあるパターンが見えた。急な話をしたら、真由喜がすぐに受け入れない。(まぁ、「アイスを食べに行こう!」のような内容なら別だが。)しかし、ちゃんと説明して、一時間か二時間か待てば、分かってくれる。親の戦略として楽だ。