奉職先

4月29日付けの『神社新報』で、前年度の神職の養成機関の卒業生の就職先や奉職先についての情報が載っている。奉職した、つまり神社で働くようになった割合は、75%を割ったそうだ。そして、國學院大學の求人の以来は多かったものの、奉職できた学生はまた減少した理由は、去年の同じだったそうだ。つまり、新米神職側で、地方に奉職する気はなかったこと。そして、神社側で、神職子弟の20代の男子に拘ること。

これは双方深刻な問題になりそうだ。地方の神社が奉仕者不足のため閉鎖されれば、神道の元気に生き残るはずはない。歴史的な宮座の制度を甦らせても良かろうか、そうするために神社本庁の方針を大きく変えなければならない。(資格を持っていない人が祭主になるからだ。)そして、住民の負担が増えるので、神社には深い関心はないと無理だし、過疎化の影響で持続しにくくなるだろう。だから、新しく神職になった方が地方に赴けば良い。それを促すために、何が必要であるかを考えなければならない。相当の理由なしに人生を賭けるわけにはいかないからだ。

一方、神社側のこだわりも問題だ。まず、女性を排除しては行けない。それは倫理的な問題になる。正直に言えば、大学や神社庁は男子に限る求人を認めるべきではない。他方、社家の生まれ育ちの魅力はよくわかる。物心がつくから神社の祭祀や環境に慣れている人は、継承に相応しいだろう。ただし、社家はそれほど多くないし、社家に生まれた人は皆神職になりたいはずはないし、その上社家毎に神社があるので、実家の神社で奉職する人は多い。神社界が生き残るために、外から新しい自在を確保しなければならない。それは、新しい社家になる可能性もある。所詮、飛鳥時代まで系譜が遡る社家は、出雲大社などのところで少ない。そして、20代の魅力も分かり難くない。体力もあるし、長い間奉仕することも期待できる。しかし、人が神社で飽食したくなるのは、10代のころには限らない。30代、40代になって神職になりたくなる人にも機会を与えた方が良い。他の職業で得た経験を活かして、神社の活性化にも貢献できるはずだ。

双方で、考え方を変えてもらう必要があるようだ。双方で、見られる問題を特定して、誤解に基づく問題をすぐに払拭して、残りの問題取り組むべきだろう。後継者問題はまだ危機になっていないようだが、危機ではないからこそ今長期的な解決策を探るべきだ。危機になった時点で、対策はもう間に合わない。


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