誰も意識しないような努力

今日の仕事で、英語の修正した。その修正の目的は、誰も英語に意識しないことだった。つまり、英語を聞いてもらったら、特に内容も表現も意識にされないように努力した。修正したものは、存在は必要だし、内容は大凡その通りにしなくてはいかないが、詳細が重要にならないのは目的だ。内容の調整は、生徒さんの方で行われたので、私は表現の方だった。

このような内容は実は少なくない。作品として目立ったら、失敗した作品だ。だからといって、どうでもいい作品であるとは限らない。今日の仕事にはかなり重要な役割があり、目立ったら深刻な問題に繰り広げてしまう恐れがある。だからこそ、努力した。

作家として、いつも作品が目立てばよい、目立てば目立つほど良いと思いがちだが、今日そう限りではないと痛感した。目立たないことは、密かにすると言う意味ではない。公然にするが、ただ必要な背景として捉えられる。背景から目立たずに役割を果たすことは、容易ではない。もちろん、前にも同じようなことをしたことがあるが、今日初めて意識した。「これを目指しているね」、と。

ブログの投稿はそのような作品ではない。投稿が目立てばよい。残念なことに、投稿も背景に溶け込むようだ。


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