部会審議

昨日の代表者会議で部会審議が進んだ。

情報伝達の大きなテーマで、川崎市のサンキューコールという総合コンタクトセンターへの問い合わせに答えられない場合、どうするかについての答えをいただいた。制度はよく整っているようだ。市の所管外の問題は、正確な情報を得たら、よくある質問などに加える。所管内の問題は、管轄する部署に伝えて、解決に向けて動いてもらうそうだ。一般的な制度として、大きな欠陥はなさそうだから、提言の対象にはならないだろう。

そして、代表者会議の提言の取り組み状況の評価についてのテーマで、市に属する「川崎多文化共生施策検討委員会」の存在を紹介してもらった。この委員会の役目は市の施策の実現に向けた進捗状況を評価することだから、代表者会議の提言も管轄に入るようだ。委員会には余裕があれば、市の自己評価だけではなく、第三者の評価もいただけるようだから、委員会と連絡をとることにした。私の個人的な考えは、できればその年度に「B」の「取組中」という評価から「A」の「成果がある」という評価に変わった提言の現状を検討していただけたら、問題の大半が払拭されるということだ。しかし、委員会には他のやることがあるので、まず可能性について検討してもらうことになった。

最後に、就職支援のテーマを始めた。日本には能力を持つ外国人労働者があるし、ニーズがある企業もあるので、紹介する組織があればよいのではないかという概念だった。次回に、事務局に既存する制度の概要を教えてもらって、欠陥を審議するつもりだ。いい補足になるアイデアがあれば、提言に持つかもしれない。

これは、最初に決めたテーマの最後なので、9月から提言の纏めに入れそうになった。ほっとした。

運動会

今日の午前中は、真由喜の最後の幼稚園の運動会だった。潮見台みどり幼稚園運動会は、8:30から始まって、11:30に終わる。お弁当は不要だから、お母さんたちにはありがたいそうだが、必要になる早起きはちょっと辛い。真由喜を動かすには、かなりな努力した。

真由喜とお友達が手をつないで園に向かうそれでも、十分間に合った。運動会の日には園バスが走らないので路線バスで行ったが、バスで真由喜の友達と会って、二人で運動会に向かった。

潮見台みどり幼稚園の方針はのびのびの成長を促す保育だから、運動会ものびのびだ。年長さんが開会式と閉会式で様々な役割を担うが、真由喜はポンポン隊員だった。国旗と園旗に続いて先頭で入場して、台に立って5分間ずっとポンポンを振り回した。やはり、親にはこのような感動な成長を見せるために旗を持つ役やはじめの言葉の役などを与えるよね。効果ある。

そして、すぐに年長さんの親子競技があった。「わらうんだわ」という、組毎に男の子と女の子に分けて親と一緒に輪を作って、ゴムの輪で足を隣の人とつないで、フーラフープの輪を回した。競技の名前は「わーround(丸い)ーわ」と言う意味なら、多言語の駄洒落で素晴らしい。私がフープを通れるかどうか心配したが、結局問題なかった。退場の時、真由喜が肩車に乗って、また別な友達と手をつなぐようにした。

しばらくして、組み体操があった。年長さんのみだし、難しい組もないので、園児がちょっと緊張しても、泣く子供はいなかったと思う。確かに、真由喜が組の基礎になったところ「重いな」と言わんばかりの顔していたが。

そして、最後に、運動会のクライマックスとして、初めての本格的な競争があった。それは、年長さんのクラス対抗リレーだった。子供たちが一生懸命走ったので、素晴らしかった。優勝したクラスには大きなトロフィーが与えられたが、最下位のクラスにも小さいトロフィーがあった。

運動会の後で私と真由喜が一緒に代表者会議に行く予定だったが、真由喜の具合がちょっと悪くなっていたので、真由喜を帰らせることになった。しかし、すぐにゆり子から「もう元気復活!」とのメールがあった。やはり、ちょっと暑くなって、ちょっと疲れて、やる気の一時的な喪失に過ぎなかった。楽しい運動会だったので、辛い思いで終わらせたくなかったので、いいだろう。

では、代表者会議について明日書きたいと思う。

「フクシマ」って

今日、イギリスの研究者からのめーるが届いた。報道についての研究で、災害で一般市民がインターネットを通じて現場の情報を伝えることをテーマとしている。私の場合、東日本大震災のとき、イギリスの新聞のホームページに東京の事情を書き込んだことを受け、取材することになったようだ。それで良いと思う。情報伝達の手法が激変しているのは明らかだから、研究者によって検討してもらえれば良い。

ただし、私に届いたメールは、「フクシマの災害」についてと書いてあった。私は、福島の災害について何も書かなかった。私が書いたのは、東京や川崎へ東日本大震災が及ぼした影響だった。書いた時、福島第一原子力発電所と完全に無関係だった。(当日で、事故はまだ広範囲に影響を及ぼしていなかった時点だった。)それでも、「フクシマ」についての研究か。

週末に宮城県に行ってきて、被害は福島県に限られていないことは痛感した。しかし、海外で東日本大震災はもうフクシマ問題になっているようだ。禁止区域や原発の廃炉工事は確かに深刻な問題で、長期に亘った対応を要するが、問題の全てではないし、犠牲者の間半数も占めない。今の時点で、原発の問題の本質は宮城県海岸の問題の本質とほぼ変わらないと言えよう。安全な片付けと復興をどうやって実現するかという問題だ。放射能物質が問題を複雑にするのは否めないが、地形で村落を再現できなさそうな所もあるそうだ。この場合も、永遠に同じ場所に住み着けない。福島に目線を絞れば、問題の実態は把握できないと思う。

といっても、海外のメディアで適切な情報があるはずはない。それこそ、この研究の焦点だろう。報道陣は、市民の情報と絡み合ったら、災害の報道がどう変わってくるかは、重要な課題だと思わざるを得ない。

誰も意識しないような努力

今日の仕事で、英語の修正した。その修正の目的は、誰も英語に意識しないことだった。つまり、英語を聞いてもらったら、特に内容も表現も意識にされないように努力した。修正したものは、存在は必要だし、内容は大凡その通りにしなくてはいかないが、詳細が重要にならないのは目的だ。内容の調整は、生徒さんの方で行われたので、私は表現の方だった。

このような内容は実は少なくない。作品として目立ったら、失敗した作品だ。だからといって、どうでもいい作品であるとは限らない。今日の仕事にはかなり重要な役割があり、目立ったら深刻な問題に繰り広げてしまう恐れがある。だからこそ、努力した。

作家として、いつも作品が目立てばよい、目立てば目立つほど良いと思いがちだが、今日そう限りではないと痛感した。目立たないことは、密かにすると言う意味ではない。公然にするが、ただ必要な背景として捉えられる。背景から目立たずに役割を果たすことは、容易ではない。もちろん、前にも同じようなことをしたことがあるが、今日初めて意識した。「これを目指しているね」、と。

ブログの投稿はそのような作品ではない。投稿が目立てばよい。残念なことに、投稿も背景に溶け込むようだ。