和装の日

今日、ずっと前から計画した着物の注文をしに行ってきた。着物と言えば、実は黒紋付の着物の一式だった。今秋、真由喜の七五三を祝うが、その御祈祷で着物をきるつもりだ。白幡八幡大神の神職に聞いたら、黒紋付は一番適切だそうだから、それを用意することにした。なぜ買うかというと、まずレンタルは高いし、御祈祷の場合、正装として良いとも神主さんに言われたので、何回も使える。それに、日本の文化だから、着たいと思うが、毎回4万円のレンタル代がかかったら、きる機会は非常に少ないだろう。所有すれば、着る練習もできる。最後に、購入したら、自分の家紋をちゃんと入れてもらえる。

だから、神奈川県の厚木市にある着物屋さんに連絡して、今日行ってきた。家族で行ったが、真由喜はいい子で、袴のデザインについてのアドバイスもしてくれた。結局、そのアドバイスに従ったが、お店の社長のアドバイスと同じだった。私は背が高いので、誂えの着物でちゃんと私の身長に合うものが入手できるのも良いだろう。今日、反物を選んだり、寸法を測ったりしたので、出来上がりは8月中旬までにだそうだ。十分余裕があるので良い。楽しみにしている。

そして、夏に祭りに参加することになったが、そのためにも日本の祭りの服装は必要になる。股引などの独特の服装だそうだから、それも整えなければならない。これで、私の身長がちょっと問題になる。「超特長」の長さで大丈夫だろうと思うが、やはりお店の選択肢も少ないようだ。しかし、現代の日本の若者を見たら、もう少し待ったら、適切な大きさの和服も洋服も、入手し易くなるのではないかと思う。10年後、私がもう目立たないだろう。背の高さの側面で。

ところで、着物屋さんの社長が私が作った家の家紋を丁寧に褒めてくれた。もちろん、悪口はできないが、それでも嬉しかった。

何何の日本人

川崎市が外国人市民を対象にする調査を実施するかどうかは検討しているが、昨日作業部会が開かれた。見積もりに向けて、作業部会で調査の対象や言語を検討した。言語は問題ではなかったが、対象で言葉の問題があった。

調査の一部ははもちろん川崎市に住んでいる外国籍の人だ。厳密に言えば外国人市民だ。しかし、できればもう少し広い範囲を対象にしたいと思われている。まず、、外国人として生まれ、帰化して日本人になった人も、外国人と似ている経験は多いのではないか。そして、国際結婚で生まれた子供は、日本国籍も持っているので、外国人ではないが、日本語が母国語になっているとは限らないし、差別の対象になる恐れもある。

では、明らかに対象にしない市民は誰?純粋な日本人?そういう言い方なら、ハーフは純粋ではない。泥が入っているかのような印象だから、この言い方を避けた方がよい。同じように、「本当の日本人」の言い方もダメだ。「標準の日本人」の言い方なら、帰化した人などは基準を満たないような印象になりがちだから、これもダメだ。ハーフを「外国とつながりのある子供」と市行政で呼ばれるが、その反対にすれば「外国とつながりはない日本人」にしたら、そうではない。外国人の配偶者は対象にしないし、帰国子女も対象にしないからだ。人種的に日本人でもない。日系ブラジル人は調査の重要な対象の一つだからだ。

ご先祖様も日本人である日本人だとすれば、家系がアイデンティティに重要である印象になる。その場合も確かにあるが、この場合そういうことを示唆するつもりはない。

長く書けば、外見は典型的な日本人であって、日本の文化圏で育ってきた日本国籍を持っている日本語は流暢な人を指したいが、それを短くいうのはやはり難しい。人が思わず「我々日本人」と言う場合指す人だが、定義として何がよいか分からない。

結局、会議で言い方は難しいが、意味が分かるので次のことに移ることにした。このように「普通の」日本人を定義するのはこれほど難しかったら、事実も思われるよりややこしいのではないかと思わざるを得ないね。

味方との相違

人間同士で、二人が完全に同意することはないだろう。趣味が違うとか、大好物の食べ物が違う等の相違点は常時の存在だ。日常的な人間関係では、この事実が問題にならない。しかし、論争に入ると、問題視されてくる。

論争でも、見方の大好物の食べ物が問題になることは少ない。しかし、論争の内容についての相違点が厳しく問題視される。例えば、男女平等の論争がある。確かに日本で男尊女卑を訴える人は少ないが、男性と女性が完全に平等に行動しているとは言えない。適切な対策についての議論がある。一つの立場は、あらゆる職業には女性採用の最低基準を設けるべきという。もう一つは、このような基準を設ければ、むしろ女性の平等の妨げになると強調する。さらにもう一つの立場は、女性の平等を促進するのを認めながら、男性には不公平だからすべきではないと主張する人もいる。

前者の二人は、社会で積極的な政策を導入して女性の平等を促進するべきである点で合意するが、具体的な実現手法について分かれている。後者は、積極的な政策の導入に反対する。この場合、二人が味方になって後者と戦えるだろう。

しかし、よくある現象は、三つの陣に分かれて、お互いに戦うことである。方針を導入するかどうか、そして基本方針について同意しないと、味方として認められない。

私は、このことを慎重に考えるべきだと思う。原則として、味方を増やした方がいいのではないか。つまり、ある人がある点で自分と合意すれば、その点で味方にすればよい。別な点で意義すれば、その点で議論すれば良いだろう。実は、これは政治でよく見られることだ。選挙に勝つために、政治家が広い連携を図る。その連携のなかで、意見が分かれる人は少なくない。自民党は典型例になるだろう。政策について、自民党議員が皆本音で賛成できる方針は一つもないと言われる。しかし、共同できる範囲は十分あるので、一つの政党として動く。

この点で政治家はよく批判される。より純粋な立場を保つべきだと言われる。自分の信念であれば、私もそう思う。ぶれずに貫いた方が良い。(確かに、新しい事実を知っていれば、意見を変えるべきだが。)しかし、この世の中で味方を作るのは敵を作るより良い行動なのではないだろうか。だから、共通点を探してその共通点に基づいて味方宣言したほうがよい。相違点はあると認めながら、共通点について協力する。

これも、程度の問題だ。極端の例で、自分の国民を拷問したり虐殺したり独裁者と一緒にオリンピックの開催を図らないほうがよいだろう。しかし、独裁者で国内の政治状況は自由とは全く言えない場合でも、マラリアの撲滅の為に協力するべきなのではないか。まさに、一応民主主義の国で大統領が新聞等の自由を必要以上制限するとの判断を理由に、国際犯罪の防止のために協力しないわけには行かないだろう。

個人レベルで同じだ。一つの相違点を理由に敵とすることは多く見えるような気がする。むしろ、原則として、一つの共通点で味方にするべきだ。絆は多ければ多いほど良いと私は思う。

玉若酢命神社

でかい杉の隣に立っている私。背景には門が見える。玉若酢命神社{たまわかすみことじんじゃ}は、隠岐の国の惣社だったそうだ。惣社というのは、国の主要な神様を国府に近い神社に集める施設で、国の神様への参拝を手軽にするための措置だった。神社の境内にある案内板によると、惣社として創建されたそうだが、それは疑わしい。なぜなら、惣社の制度は、平安時代後期の11世紀以降現れた制度だが、この神社の境内には1000年以上の樹齢の杉もあるし、社殿の後ろの丘には古墳もある。この神社は、惣社制度より歴史があるのではないかと思わせる。

杉は特に印象的だった。八百杉という、根の間に大蛇が寝ている伝説もあるし、人魚の肉を食べて八百年生きた八百比丘尼という人物が杉を植えて、「また八百年後」と言った伝説もある。昭和4年から国指定天然記念物になっている。適切な高さの壁があったので、杉の一緒の写真を撮った。

門のなかから撮った写真で、杉も社殿も見える。古墳は、神社の後ろにある山にあるそうだが、撮影の合間に参拝させていただいたので、見に行く余裕はちょっとなかった。

この神社の社家は億岐家だという、国と同じ「おき」の読みで、国造の子孫だそうだ。それは、出雲大社と同じパターンだが、出雲大社のほうにおそらく歴史があるだろう。しかし、駐在する神職はないようだ。証拠は、拝殿の階段にはお札やお守りが置いてあったし、相当する納めを入れる箱もあったので、お札などが欲しかったら、自分で授与するようだった。

社殿は国指定の重要文化財で、かなり大きくて威厳がある。そして、社殿の脇には池があって、アヤメが咲いていたし、カエルが大きな声で鳴った。境内の雰囲気は良かった。

ところで、古墳に近い神社は隠岐島でこの神社だけではない。ちょっと珍しいが、もしかしてこの島の豪族の墓で、祖先神を祀る神社がこの玉若酢命神社になったかもしれない。それとも、国府に近い場所に葬られ、国府が創設してから神社が建立された可能性もある。

アヤメが咲く池の向こうには拝殿と本殿が見える