水若酢神社

神社の拝殿と本殿隠岐島で最後にお参りできた神社は、水若酢神社だった。本当であれば、順番は逆であるべきだ。なぜなら、水若酢神社は隠岐の国の一宮であるからだ。一宮という呼称は、一番神威が高い神社をもちろん指すが、その上国司が国に入るとき最初にお参りする神社という意味も持っている。確かに、私は国司ではないので、許していただけるかな。

神社の案内板によると、御祭神は水若酢命だそうだ。この神様は、起記神話には登場しないが、島の神話によると海から来て、島の開拓に努めた神様だそうだ。

残念なことに、神社が災害とあって、古文書が殆ど失われているそうだ。だから、神社の歴史などには不明な点は多いようだ。それでも、残っている文書などによると、神社の鎮座年代は崇神天皇の御代であるそうだ。崇神天皇は実在していない天皇だし、西暦に変えれば紀元前20年ぐらいだと言われているので、神道の祭祀が発生する前の時代だ。だから、単純に「大変古い神社」という意味である。そういう風に捉えたら、証拠は多い。延喜式で名神大社に列せられるので、10世紀までに重要な神社になっていたことが分かる。

本殿は国指定重要文化財で、隠岐造りの建築だそうだ。玉若酢神社もそうだったが、隠岐島の特徴を表す建築だそうだ。大社造りに似ているのは当たり前だろうが、正方形ではないことも入り口が褄入りであるものの壁の真ん中にあることは、大社造りと区別するようだ。

土や天井がなくなった古墳で、石の壁が見える。そして、境内には古墳がある。石の壁しか残らない古墳を見たが、仲の形が分かるのは興味深かった。この古墳には、地域の豪族が葬られたと考えられているそうだから、これも神社の古さを証明するかと思うだろう。しかし、神社が水害に何回もあって、遷座は多かったそうだ。元々の鎮座地は、現在の鎮座地の北にあったそうだ。だから、最初からこの古墳と関わったと言うわけはない。しかし、古墳は6世紀〜7世紀だと思われているそうだから、神社の建立時代とほぼ同じなのではないかと思っても良いだろう。

他の看板によると、この神社の例大祭は素晴らしいそうだ。大きな山車があって、巫女舞などが奉納されているそうだ。見たくなったし、この神社へまたお参りしたい他の理由もある。その理由は、御朱印をいただけなかったことだ。撮影の後でお参りできたので、時間が合わなかった。社務所はもうしまっていたし、お邪魔する時間でもなかった。家族で隠岐島をもう一度訪れたら、昼間にお参りする。