運動家と代表者

今朝、在日外国人の状態を研究する教授に取材された。課題はもちろん川崎市外国人市民代表者会議だった。市長が変わってもまだ市に支えれている印象を語ったが、重要なことが浮き彫りになった。

代表者会議は運動家の会議ではない。むしろ、市の行政の一部であると言えよう。これは、重大な違いであると私は思う。

運動家は、重要は根本的な改革を目指すことは多い。妥協するのは良くない。途中で妥協すれば、目標の重要な改革に至らないからだ。そして、小さな改善には意味はない。既存の状況は相変わらず存続すれば、改善があっても何も効果を得ていない。実は、運動家が生きている間に成功することは極めて珍しい。社会の常識を改革させるのは目的であるので、たかが数年間で達成できるわけはない。その結果、運動家はずっと既得権益と戦い続けて、行政と組むのは目標を裏切ることに等しいと見なす。

代表者会議は違う。行政と恊働して、一歩ずつ状況を改善する。些細な変化も促すし、根本的な改変は促進しない。例えば、区役所には多言語の案内を依頼したりする。在日外国人の状況を大きく変えないが、日常生活をもう少し楽にさせる。

大きな改革を実現するために、運動家は必要不可欠だ。改革を強く押し進める人はいないと、何も動かない。長期的に理想的な社会に近づく道のりだ。運動家は、目標によって賛同するか批判するかが別れるが、社会の進化には必要だ。社会が根本的に変わらななければならない場合もある。

他方、日常的な改善をすぐに齎すために、代表者会議のような存在も必要だと思う。根本的な変革を待っている間に、生活を送らなければならない。だから、変革の前になるべく改善するべきだ。

つまり、代表者会議の役割は重要だが、変革を齎す役割ではない。その基準で評価すれば、失敗に終わったかのように見えるが、変革を目指していないので、適切な基準で測れば、実は成果を挙げた。