動機になる構成

行動するために、理由は必要だ。何かを得るとか、行動自体は楽しいとか、他人の助けになるなど。特に努力が必要となる行動を行う動機はない限り、しない。

人間は、自分の動機を作ることはできるのは確かだ。余談だが、このブログを書き続ける動機は、今まで書いてきたので止めるわけにはいかない気分に過ぎない。ただし、ブログのおかげでテレビ出演があったので、もう長くなったことだけではない。やり続ければ、更なる動機が発生することもあるのも、事実だ。

それでも、そのような動機で尽力するのは難しい。休む誘致はどこにもある。行動を考えるとき、三つの基準がある。一つは、行動自体は楽しいかどうか。テレビを見ることは、楽しい。だから、テレビを見る動機を見つけるのは難しくない。経験を楽しくさせればさせるほど、動機が強くなる。もう一つは、行動から何かを得るかどうか。大きな利益を得ることはできれば、努力する人はいる。そして、最後に、利益の確実性だ。それは、確率だけではなく、すぐに利益を入手できるかどうかということだ。確率は高くても、10年間以上待たなければならない場合、動機は強くない。十年間の間に何かが起きる可能性は高いので、確実性が欠ける。

この事実を踏まえて、人を動かすために強い動機を与える制度や構成は必要だ。

極端な例だが、生活保護から収入の全額を引けば、働く動機はない。収入が上がらないからだ。だから、制度として、働き始めたら収入が必ず上がるように構えるべきだ。

私は、罰に反対するので、やる気を引き出す動機を好ましく思う。つまり、すぐにいいことがあって、継続すればより大きないいことがあるような構成は一番なのではないかと思う。社会構成で、富裕層に入れる可能性があったらよいが、その前に生活の水準を段々引き上げられるような構成は必要だ。その場合、結局富裕そうに入れなくても、一生の努力の賞を得たように感じるのではないか。

確かに、このように工夫しなくても、頑張る人もいるが、少数だ。社会のために、そして個人のために、幅広く頑張ってもらった方が良い。頑張った人には、達成感や満足感があるので、生活を豊かにする。普通なやる気を持つ人が安易に頑張れるように社会を構えれば、一般人の能力にびっくりするのではないかと思う。

頑張っても意味はないと思わせる社会であれば、悪循環に陥る。一般市民が消極的になる、そして社会の水準が衰退する。それを見て、頑張る意味がさらになくなったと感じるので、さらに消極的になる。他方、頑張ったらすぐに利益を得て、継続すると大きな利益を得れば、やる気が湧いてくるので、社会の陽気が高揚される。

ただし、このような制度の構図を作成するのはかなり難しい。実現するのはさらに難しい。安易な目的ではないが、遠い将来には過大な利益を得ることは望める。


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