非殺自衛

最近、人間を殺さない武器の開発が進んできたそうだ。電波で痛みを発生させたり、薬物で吐き気を起こしたり、別の薬物で気を失わせたりする武器がある。主な利用は、内乱を抑えることだから、白目で見られる。国家が国民を弾圧するための道具として評価されているようだ。

しかし、侵略から国を防衛する手段として考えれば、状況は別だ。敵国の軍人を殺さずに国を守ることは、現状の大量の犠牲者を作る方法より遥かにましだ。そして、平和を重視する日本には特に相応しい方法であると思う。

今のところ、最先端の人を殺さない武器で銃や戦車を持つ軍隊に抵抗すれば、すぐに負けるに決まっている。しかし、数十年前に使われた武器を持って抵抗すれば、結果は同じだ。イラク戦争の結果がこれを証明する。この問題は、命を奪わない武器の開発は不十分であるからだと言えるだろう。開発にお金や才能を注いだら、より平等になるのではないかと思える。

殺すのは目的ではなければ、捕虜にすることになる。だから、敵の力を奪って、安全に捕虜できる状態にさせる武器は望ましい。そして、捕虜の施設も必要になる。従来の戦争より捕虜がかなり多くなるに違いないので、扱い方を決めなければならない。武器を破壊して、母国に送る方針も可能だ。しかし、戦争の最中に、それは危ないだろう。母国に帰国したら、また戦いにくる可能性に配慮しなければならない。ただし、拘束するために施設も食糧も必要不可欠だがら、経済的な負担になる。捕虜が脱出しないように、警備も必要だ。だから、敵を殺した方が便利だが、便利だからといって人を殺しても良いわけはない。戦争に勝てば、敵国から捕虜の拘束費用を賠償として求めるのは妥当だが、勝利する前に手許にはないとできない。

だから、この戦争へのアプローチは、武器の開発だけではない、自衛隊の構造の再検討をも意味する。たとえば、捕虜施設を分散して、避難所としての役割も設置したらよいだろう。警備が不要になるが、そうすれば基本の状況は虐待にならないことも保障されているし、自然災害により迅速に対応できるようになる。自衛隊には殺す気はなかったら、平和維持の活動にもより相応しくなる。

詳細には問題は数多くあると思うが、検討してほしい方針だ。


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