神道の神話によると、天照大神は高天原を治める神である。では、高天原を治める権利は、どこから受けたのだろう。
古事記でも日本書紀でも、伊弉諾が高天原の政治を託したそうだ。古事記の神話のほうが知られるが、天照大神が禊祓いで生まれてきたら、伊弉諾が「高天原を治めろ」と命じたと記している。日本書紀には、天照大神の誕生について複数の神話があるが、高天原を治めるようになる経緯はあまり変わらない。
では、伊弉諾には、このように高天原の政治を託す権利は、何を根拠とするのだろう。
この点で問題になる。日本書紀で、伊弉諾と伊弉冉が勝手に高天原から大海原に下って、国生みや神生みを行うそうだ。古事記によると、高天原の神によって、葦原の中つ国を固めるように命じられたそうだ。日本書紀の神話で、自発的に葦原の中つ国を作成したので、主を決める権利があったと言えるだろう。他方、古事記で高天原の神の命に従って作ったので、治める権利が発生しない。神託は、「葦原の中つ国を固めろ」で、「葦原の中つ国を治めろ」ではないからだ。つまり、神話で伊弉諾には葦原の中つ国を治める権利の根拠は明らかではない。
しかし、これは葦原の中つ国の話だ。高天原は別の話だ。日本書紀で、勝手に降臨したので、高天原を無断に出たとも言える。高天原の主権は当然持たない。古事記では、高天原の神の命令に従って葦原の中つ国を生んだので、高天原を治める資格は明らかにない。
つまり、神話によると、伊弉諾には高天原の主権を天照大神に与える資格はなかったそうだ。私が娘に「日本を治めろ」というと同じだ。確かに言える。しかし、拘束力は一切ない。
もちろん、神話には矛盾があるのは珍しくない。事実の話でもない。ただし、天照大神の正当性にはこれほどな欠陥があるのはちょっとびっくりした。古事記や日本書紀は、大和政権の正当性を強調するために作成されたとよく言われるが、大和政権の正当性は、天照大神が邇邇芸命に葦原の中つ国の主権を託したことから始まる。天照大神にはそうする権利があるように神話に気をつけたはずなのではないか。
この神話の欠陥は、特に神道などに影響あるとは言わない。神道は、キリスト教のように聖書に基づく宗教ではないので、起記神話にはこのような問題があっても、神道の実践などを変える理由にはならない。ただ、このことに気づいて、ちょっと面白いと思ったに過ぎない。