なぜか、国際化ムードなので、今日も国際化についての投稿だ。神社を例として挙げて、私が思い描く本当の国際化を具体的に描きたいと思う。
まずは、神事などを変更しないのは言うまでもないだろう。日本の独特な文化を維持するのは本当の国際化の重要な一部だからだ。だから、祝詞を日本語のままにして、修祓や玉串奉奠などの儀式を変えるべきではない。
では、入り口を設ける方法は何だろう。まず、観光客を考えよう。観光客は日本を訪れて、日本の文化を体験したいとしよう。そのような観光客は多い。そのような人のために、正式参拝に参加できるようにした方が良いと思う。もちろん、原則として問題はない。神社には神職が駐在していれば、日本語で申し出たら日本人と同じようにできる。
ただし、観光客は、そのようなことは可能であるのが分からない。日本語で申し出ることもできない。だから、説明しなければならない。案内板に、多言語で正式参拝の意味を説明して、参加できる方法を説明する。そして、社務所に申し出たら、チラシに作法の説明を渡せば良い。神職が複数の外国語で説明できるようになる場合は少ないので、文面で説明した方が無難だろう。初穂料のための封筒は、社務所が用意しておくべきだ。観光客に名前を書いてもらうだけにしたら、だれでもできる。そして、服装だが、観光客は着替えることはできない場合は多いので、服装を広く容認するべきだ。正装とは全く言えない姿でも、許すべきだろう。
観光客から次の段階は、神道のことをより性格に理解することだ。長期的に、日本語を学ばせるべきだが、最初から流暢な日本語を前提とすれば、大きな障壁になりかねる。だから、基礎知識を母国語で学習できるようにするべきだ。たとえば、神社検定参級を外国語でも設定するのは一つの方法だ。一つの神社で、日本語は片言でも神事に参加させたり、体験させたりすれば良いだろう。もちろん、本格的に参加する前に日本語をある程度身につけなければならないが、それは本当の国際化の一部だ。外国人にとっては、日本は海外の文化で、接したら利益があるからだ。
それから、興味を示し続ける外国人には、より深く参加できる道を明らかにするべきだ。阿吽の呼吸は、外国人には通じないので、本当の国際化の一部はその空気を読む必要性を払拭することだ。つまり、外から来た人には、条件などをはっきり説明できるのは重要だ。そして、外国に生まれても参加できる道を開くべきだ。
概要にしたら、第一歩をなるべく簡単にするべきだ。初めての経験で失敗すれば、殆どの人が諦める。特に神道についての知識や関心はまだないので、頑張る理由はない。第一歩の後で、実感できる進歩を可能にするべきだ。第一歩は簡単で、第二歩は登山みたいであれば、諦める人はまた多い。しかし、進むことが段々難しくなっても良い。関心を持っている人は頑張るからだ。そして、異文化を本格的に理解するために、努力は必要である。ただし、進歩することはいつも可能にするのは重要だ。外国人であることで制限があることがあれば、本当の国際化ではない。その点まで進む外国人は、普通の日本人より日本の文化が分かる条件でもよろしい。
第一歩は簡単で、最後まで歩める。それは本当の国際化の骨格だと私は思う。