今日、氏神様の白幡八幡大神の例大祭が執り行われた。
今、台風が関東に近づいているので朝の天気がちょっと荒れた。大雨が降ったので、神社に向かった道で濡れた。しかし、ちょうど神事が始まる時刻から空が晴れてきたので、禰宜舞が始まる前に参拝者が増えてきた。今年の禰宜舞で、私の隣にちびっ子組がいたので、餅まきになると大変賑わっていた。そして、私がとれた餅は少なかった。ちびっ子から奪うわけにはいかないし、奪おうとしてもちびっ子は熱心で強いよね。負けた。
例大祭は、毎年同じだから、過去の投稿を読んだらより詳しい説明がある。数年間連続で見たら、社家の役割の変遷や氏子の入れ替えも見えるが、神事と舞は変わらない。それは伝統だと言えるが、このブログで前にも述べたように想像を私は重視するので、新しい要素を取り入れたらいかがかと思わざるを得ない。永遠に変わらぬ部分と毎年新しくできた部分があれば、より印象深いなのではないか。ただし、新しい内容を毎年用意するのは、神社側には大変だろう。兼務社は多いし。そして、私が宮司にならない限りこのようなことを提案する資格もないし、宮司になっても氏子もいるし。まぁ、国の政策について論じるので、神社の方針に触れても差し支えないだろう。
ところで、昨日もお参りしたが、子供神輿が境内で置かれていた。白幡八幡大神には大人の御神輿はないので子供神輿しかない。例大祭の前に練り歩く。写真には仏教の祭具から発生した棒が見えるが、神仏習合の名残として珍しくないことだ。昨日神社の方と話したら、御神輿は刑務所で作成されたことが分かった。更生の一環としての仕事であるようだが神道の祓えの概念も関わると思う。犯罪の汚れを清め祓えるために社会に貢献する行動は必要だから、共同体の祭りに貢献する祭具も適切だろう。
餅まきの時に考えたことだが、拝殿に入れる人数は200人程度だろう。それに対し、氏子区域に住む人数は、一万人程度だと思う。初詣の合計人数は一万人前後であるそうだし。だから、神社の区域に住む人は皆参加できない。物理的に無理だ。神社は、共同体との絆で存続するのでこれは問題であると言わざるを得ない。でも、問題を指摘するのは簡単だ。解決策を提供することは重要で困難だ。この場合もそうだ。境内もそれほど広くないので、境内を人で一杯にしても、一万人に至らない。だから、皆を参加させたかったら、境内以外の場所で参加させるしかない。
では、少なくとも私は来年も参列するつもりだ。